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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (18)」を公開しました。 2年 6か月前

     

     

    『ここのところひんぱんに、妹が向こうの情報をいろいろ調べて、メールで送ってくれます・・・』

    みちるさんからそう、僕宛てにメールが届いた。 妹のみのるさんはイギリスに帰って、また父親の元でハイスクールに通っている。

    『以前銀林くんが話してくれたように、イギリスでは花やハーブといった植物は生活の大切な一部分で、人々はそれをいろいろな形で上手に暮らしの中に役立てているのですが、それはまた病院などでも利用されていて、日本ではもうおなじみのアロマセラピー用のエッセンシャルオイルや、あなたからいただいた、花の波動を水に転写させたフラワーエッセンスなども、患者さんの心のケアや、実際の現場の治療にも使われているほどだそうです。

    人々は自然から得るものをとても大切に考えていて、受け継がれてきたもの、また新たに人の英知となったものも、今の技術の中で大きく貢献、発展しているようです』

     

    数日後、みちるさんから、年明け前に退院できるといううれしい知らせの電話があった。 週に一度、彼女に堂々と会える口実がなくなるが、僕も受験の追い込みだ。

    「ひとりで自由に行動できるようになったら、夏休みにフィンドホーンに行ってみようと思ってるの。 妹も一緒に行くと言ってるのよ。 いろいろ調べているうちに、自分も興味がわいてきたみたい」

    電話の向こうでそう言って、彼女は笑った。 弾むような声からは、彼女が新しい希望にあふれているのがわかる。

    「銀林くんが持ってきてくれた花の写真集にのっていた風景のような、丘いっぱいに花の色で描かれた虹も見たいの。 だからあの場所にも、花を訪ねる旅をしようと思っているのよ」

     

     

    なんだか喜びの興奮覚めやらなくて、コートを着て夜の散歩に出た。

    僕には僕の目標がある。 まずはその目指す目標のスタートラインに立てる事。 そして、古くて新しい様々な方法も取り入れて、訪れる人の痛みをできるだけやわらげてあげられるようなケアをする事。

    体が痛めば心が痛む。 だから全体でその人を考えて支えたい。 そんな医療がしたい。 それが今の、僕の夢になった。

    ひとりでもできる事から始めたらいい。 難しく考えることじゃないさ。 歩きながら僕は口笛を吹いてみた。

     

     

    自分の部屋に戻って来た。 暖房を付けもう一度キッチンに下りて、紅茶の入ったティーポットとふたり分のカップを持って来る。 ついでに缶入りのクッキーも。

    窓辺にクリスタルを置こうと思ったら、もうそこにスイがいた。

    「おっ、いらっしゃい。 早かったね」

    僕の言葉に、お茶目な笑顔でうなずいた。

     

    お茶を飲み、マーブル模様のクッキーを食べながら、スイはいつになくおしゃべりだった。 同じ妖精仲間のブラウニーが、油断していると知らない間に後ろにいて、いたずらにわたしの髪をひっぱるだとか、自分が大事にしていた真珠の珠を、パックにとられただとか。

    「パックになんて見せてあげるんじゃなかったわ。 返してって言っても知らんぷり」

    そう言って口をとんがらせていた。

     

    スイにはスイの世界があるのだった。これから先もそこで、彼女の言う『学び』をしながら、きっとまた、どこかで誰かを助けるのだろう・・・。

     

    何がどう今までと変化したのかわからなかったが、僕はひとつの・・・寂しい予感を感じていた。

    「じゃあ、きょうはこのへんで失礼するわね」

    スイの言い方は、僕たちの関係に「またあした」 があるようだった。

    「もちろん、また会えるよね?」

    思わず口をついて出た僕のその問いに、スイは笑って、

    「当たり前じゃない」

    と言った。 そして、耳元まで飛んできてささやいた。

    「また、お茶とお菓子でおしゃべりしましょう」

    そう言って、僕の頬にひとつ小さな口づけをした。

     

    そして彼女は、出会った時のように笑顔で手を振って、金色の光の輪の中にかき消えるように見えなくなった。

    ふと窓辺を見ると、置いてあったはずのクリスタルが無くなっていた。

     

     

     

    次にめぐって来る春、花の季節に、きっとあの小さな彼女に良い報告ができるように、受験に全力をつくそう。

    窓を思いきり開け、身を乗り出して空を眺めた。 静かな夜、濃紺の澄んだ空に月がこうこうと輝いている。 吐く息が白く凍って霧になる。

     

     

    春・・・いつかめぐり来る人生の春に、僕は彼女にもらった種を、今度は自分の中に咲かせなくては。 そしてその花を、たくさんの人たちに届ける事ができるように。

     

     

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (17)」を公開しました。 2年 6か月前

     

    3日後の学校帰り、僕はプレゼントを持って病院へと向かった。 それは、街で見つけたかわいい焼き菓子の詰め合わせと、花屋の店先にあった、淡いピンクとブルーの花の小さなブーケだった。

     

    ドアをノックする。

    返事がない。

    あれ、きのうメールで行くと伝えておいて、OKの返事をもらったはずなのに・・・と考えていたら、コツン、コツンと廊下をこちらに向かって来る音がした。 その方に振り向いて驚く!

    「すごい! もう歩けるんだね!!」

    両脇に松葉杖を挟んでだったが、義足をつけた足で立って、みちるさんは歩いていた! 僕の、たぶんはじけそうにうれしそうな顔を見て、彼女は照れくさそうに笑って言った。

    「ちょっと前から、ひとりで売店にも行けるくらいになってたの。 あなたを驚かせたくて、黙っていたのよ」

    「やった! ばんざい!!」

    その大きな声に、ナース室の看護師さんが首だけ出してこちらをのぞいた。

    「すいません」

    小声になってあやまる。

    「中に入りましょう」

    そううながされて、僕たちは彼女の部屋に入った。

     

    「ちょっと後ろを向いててね」

    そう言われて、そのようにする。

    ぎしぎし、と、何かを外すような音。 それからみちるさんはベッドに座ったようで、

    「いいわよ」

    と声がした。 後ろに向き直り、ハッと息をのんだ。 彼女が切断した方の足を、サポーターを巻いてはいたが直接見せて、もう片方の足と一緒にベッドの上に投げ出して座っていたのだ。

    気持ちのふいを突かれて、不覚にも僕は涙ぐんでしまった。

    「どうしたのよ、銀林くん」

    彼女は僕をなぐさめるようにやさしく言った。 これじゃあ立場が逆じゃないか!

    「あなたがいたからきっと、こんなに早く受け入れる事ができたんだと思う。 本当にそう」

    彼女の目にも、涙が浮かんでいた。

    「お茶でも飲みましょう。 カモミールの」

    そう言ってにっこりすると、戸棚の引き出しの中から彼女が取り出したのは、彼女の鉢に咲いたのを陽に当てて干した花だといった。 ガラス瓶の中のそれは、冬の午後の弱い光を透かしてこがね色だった。

    部屋の湯沸かしポットは、このごろハーブティーに凝りだした娘に、彼女の母が、すぐにお茶をいれることができるようにと買って来てくれたものなのだという。

     

    ティーポットに花を入れ、お湯を注いで待つ間に彼女は言った。

    「銀林くん、カモミールの花言葉を知ってる?」

    ふいの質問に、そんなこと考えた事もなかった僕は、首を横に振った。

    「この花の花言葉はね、『逆境の中の活力』 って、言うんですって」

    僕は一瞬、言葉を失ってしまった。 スイの顔がぼんやりと頭に浮かぶ・・・。

     

    「それにしても・・・」

    と彼女は言った。

    「え?」

    「それにしてもこのカモミール、本に書いてあったのとは、成長の早さも花の時期もほとんど違うのよね。 こんな種類があったのかしら? 銀林くん、確かお友達に種をもらったと言っていたわよね」

    彼女は不思議そうに聞いた。

    僕はスイの事を話して良いものかどうか迷った。 そりゃそうだろう。 実は妖精の友達がいます、なんてマジメに言われても、相手は返事のしようがないというものだ。 しかも場合によっては、こちらの頭の中を疑われかねない・・・。

     

    だけど・・・、と僕は思った。

    だけどみちるさんなら、・・・彼女ならもしかして、まともに請け合ってくれるかもしれない。 直観が僕にそう言っているような気がする。

    「友達はその種に、魔法をかけたって言ってたよ」

    「魔法を!?」

    驚いたみちるさんの目が、まん丸くなっている。 でも彼女はちょっと考えるようにしてから、また声をひそめて言った。

    「その友達って、・・・もちろん人間よね?」

    僕は黙って首を横に振った。

    「え・・・。 じゃあまさかとは思うけど、魔法を使える、自然の精霊とか、妖精とかなのかしら・・・?」

    今度は僕が驚く番だった。 思いもよらず、みちるさんの口からそんな言葉が飛び出してきたからだ。 お互いを驚きの目で見つめて、少しのあいだ口もきけずにいた。

    「どうしてそんなふうに思うの!?」

    今度は僕の方から切り出した。

    「銀林くんは、イギリスにフィンドホーンという場所があるのを知っているかしら? わたしも最近妹から聞いて、初めて知ったんだけど・・・」

    彼女は一冊の本を戸棚から取り出すと、僕に見せてくれた。

     

    今から50年ほど前の、1962年11月、イギリスのスコットランドの北の端の、フィンドホーン村という場所に暮らし始めた人たちがいた。 雑草も満足に生えないような荒涼としたその土地に、キャディ一家の5人・・・夫婦と、まだ幼い3人の男の子たち・・・と、その友人のドロシーは、引いて来た古いトレーラーハウスを住居にして住むことにしたのだった。

     

    一家の主人であるピーターは、それまでその村から8キロほど離れたフォレスという町のホテルで、支配人として働いていた。 そうなるまでの人生の主要な時間は、軍人として称号を得て仕事をしてきた彼は、ホテルの運営などまったくの無知だったが、ピーターが支配人になると、数年後には、ホテルの収益は以前の3倍にもなる。 その成功は、ホテル運営の細かな指示を、妻のアイリーンにもたらされる、神からの内的啓示(『ガイダンス』 と呼ばれる) により得て、それをピーターが中心となり忠実に実行に移す事、昼夜をいとわぬその努力により実現していったものだった。

     

    しかしホテルの経営者は、ホテルが神の啓示に従って経営されているという話が広まっていくのを嫌い、一家をいったん別の場所にあるホテルに1年転勤させた後、突然解雇してしまう。

    キャディ一家とドロシーは、明日からの職のあても、家すらないまま、住みかでもあったホテルを追い出されるように後にした。 神の啓示は、「すべき事は一日一日を生きていく事。 一度に一歩ずつ進んで行く事で、常にこのように生きていく事を学ぶ事であり、私の指導の下に一歩ずつ進んで行けば、すべては完璧に成就するでしょう」 と、総じてアイリーンに、そのように告げていた。・・・

     

    その後しばらく、ピーターの職探しは奇妙なほどに失敗し続ける。 現金収入の道が途絶えたので、彼らは食事の足しにするために、ハリエニシダという、水も養分もほとんど必要としない、荒れ地にしか生えない植物が主だった、フィンドホーンのその砂地の土地に、菜園を造る事にしたのだった。

     

    そのころ、一家と数年来運命を共にしてきた友人のドロシーに、変化が起きた。 自然の精霊の声が聞こえるようになったのだ。

    「植物の精霊たちと、協力して菜園で働きなさい」

    この声が聞こえた当のドロシーでさえ、はじめは半信半疑だったという。 しかし精霊・・・その野菜を担当する妖精たちから直接メッセージを受け、それに従い忠実に実行すると、味も形も大きさも信じられないほどのすばらしい野菜ができ始めた。 (驚くべき巨大野菜の収穫は、数年の後に終わってしまうが・・・。)

     

    時には遠くの空にオーロラが見える事さえあるという、北の果てのその地で、その土壌と気候からは到底育つはずのないそれら農作物の収穫に、ドロシーは、

    「フィンドホーンがエデンの園である事を証明し、自然界の精霊と人間が協力すれば、新たな可能性が広がる事を知らせるためにできたものなのです」

    と、言っている。・・・

     

     

    僕はそれを読んで、そこにはたぶん、嘘は無いだろうと感じていた。 信じるも信じないも、ほとんどが書いてある通りの事だろうと。 水晶を置けばすぐに現れて、力や勇気をくれたスイの存在は、まぎれもなく僕の現実だったから。

    そして、スイがくれたカモミールの種は、驚く早さでしっかり育って、うっとりするほどの香りを放つ花を、豊かに咲かせた。 それはまさに魔法だった。

     

    みちるさんは言った。

    「イギリスの、特に地方ではもともとそういう伝説のある土地柄という事もあって、人間のために役に立とうといろいろ世話を焼く、精霊や妖精と言われる存在がいると、今でも信じられてるの。 子供のころ向こうに遊びに行って、ちょっとしたいたずらをたしなめられたりする時に、エルフィンにつねられるとか何とか、私も向こうのおばさんに言われたことがあったわ。 そして実際に彼らとコンタクトを取ることができたり、その姿が見えたりする人たちは、意外に多いらしいのよ」

    彼女は話す途中でますます実感がわいてきたようで、ほほを染め、目を輝かせて言った。

    「でもすごいわ! 銀林くんの話す事が本当なら、あなたはなんてすばらしい経験をしたのかしら。 わたしたちはなんて素敵な贈り物をいただいたのかしら!」

     

    今そこにスイがいるように思えたのは、気のせいだろうか。 窓辺に飾ったブーケの花のあたりから、いつもスイが帰った後に残る花の香りが、かすかに香って来ていた。

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (16)」を公開しました。 2年 6か月前

     

    塾の帰り。

    クリスマスも間近に迫り、街のイルミネーションはひときわ輝いていた。 今年の僕にはほとんど関係ないのでなんだか少しさみしい気もするが、この、何ともいえない高揚した雰囲気は、きっと人々が思い描く夢そのものなのだろう。

     

    家に着くと母親は外出中で、冷蔵庫の中にシチューがあると、テーブルの上にメモがのっていた。

    食事が済んで、洗い物を流しに戻すと2階へ上がった。 椅子に座り、なんとなく机周りを眺める。 ・・・なんだかいろいろなものが積み重なっている。 参考書、問題集、ノートにプリント類・・・新聞雑誌のたぐいまであってごちゃごちゃだ。

    片付けよう。

     

    まずは、机の上に目を向ける。

    結果が出てからすでにだいぶ経っているテスト用紙や、塾の模試のプリント、DMなんかでパソコンの横がふさがっていた。 ちらりとめくってみたが、結局そのままゴミ箱行きとなる。 DMは、読んだら今度は、すぐいるものだけボードにでも貼って、それ以外は捨ててしまおう。 いつか・・・なんて思っても、取っておいたその情報が役に立ったためしがない。

     

    机の横に、机と同じ高さでもう一つ設けてある引き出しの上に、読んでそのまま積み重ねてしまっていた本は、きょう寝る前に読む一冊だけを残して、本棚へ戻した。 下に下りて除菌のできるウエットティッシュを持ってきて、物がなくなった机の上と、パソコンとをすみずみまで拭いた。

    見違えるほどきれいに広くなった机の上やその周囲を見て、以前本で読んだ事を思い出した。 机や床の平面積は、仕事の能率や出世と大いに関係があるらしい・・・平面の広がりというのは、豊かさのシンボルなのだそうだ。 だから、大きな銀行の床が広々としているのはそのためらしい。 逆に、机や床の上がごちゃごちゃしている人は、経済的な問題を抱えやすいんだそうな・・・。

    こうやってきれいになったのを見ていると、それも一理ありそうな気がする。

     

    今度は部屋全体を見回し、部屋の隅に重なっている雑誌や、ハンガーラックにただひっかけてある上着やズボン、バッグなどをきれいに整頓した。 雑誌の方は、以前通販で何かを買ったのがきっかけで、その後も毎号届く分厚いカタログやら、ずいぶん前の週刊誌もあった。 取っておいてあるわけでもないが、放置しておくと自然とそれきり忘れてしまう。 知識によれば、無意識がそれに慣れているから平気だという事らしいが、それで平気だという事は・・・。 今度からは意識的に片づける努力をしよう、と小さな決意。

    さっきの本の原則は、一つ増やす時は、それまで持っていたものの中から一つ捨てる、だっけ。 そう考えれば不必要なものを安易に買う事もなくなるだろう。 『本当に必要なものは、必要な時に現れる』 という、どこかの神様の金言もあった。

     

    すっきりしたら掃除機をかけたくなったので、もう一度下に下りて持ってくる。 母親がいなくなればその日から、生活に必要なすべての事は自分がやらなくてはならないのだ。 当たり前だが。 掃除機を戻しに行ったついでに、自分の食べ終えた後の食器も洗った。

     

    さすがにきれいになった部屋を眺めていたら、なんだか花を飾りたくなった。 不思議なものだ。 これも心の余裕というやつだろう。

    掃除のために開け放した窓から、冷たい冬の空気が流れ込んでくる。 そろそろ閉めよう。

    この次病院に行く時には、みちるさんにも花を買って行こう。 それは自分でも、最高の思いつきに思えた。

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (15)」を公開しました。 2年 6か月前

     

    試験のために2週間ほど見舞いに行けないうちに、彼女に変化が起きたようだった。 メールでいろいろと報告してきてくれる。

    「こんにちは! きょうは母に、頼んでおいたアロマセラピーに関する本と、またいくつかの、花のエッセンシャルオイルを買って来てもらいました。 このオイル一つ一つの香りや効用を覚え、ブレンドもして使いこなせるようになりたいから、がんばります!」

    みちるさんはどうやら、芳香療法を扱うプロ、アロマセラピストを目標にしたらしい。

    「わたしのいる部屋の前を通ると、このごろいつもいい香りがするから気分が良くなると、他の患者さんや看護士さんに言われるのがとてもうれしい」

    と、その日のメールは結ばれていた。

     

    そういえばいつも、スイが帰った後には、やさしい花の香りが残っていた。 それに気づくと僕は、どんな時にも気持ちが安らいだ。

    花々や植物なる緑の安らぎは、いつでも癒しを与えようと僕らのそばに存在しているのだ。 生きとし生けるもののための滋養を育み、それを与えるために。 たとえこちらが、それに気づいていなくとも。

    気づくことができればなお、誰にでも分け隔てなく、生きていく安心感や心地良さの扉が大きく開かれる。

     

    僕の中で、スイや、その仲間たち、あるいは自然のあらゆる精霊たちが存在し、花や緑となって呼吸し、それがいつも人と共にある・・・その事が、突然胸に迫って来た。

    僕らは本当は何かを画期的に変えていかなくても、最初から必要なものはみんな与えられている。 そして存在そのものが許され、愛されているのだ。 だからこそ、ありのままの自分の価値や意味、そして喜びを、誰もが必ず自分の中に見い出せる。 生かされているという愛情に、気づくことさえできれば。

     

     

     

     

     

    学校に通い、塾に通い、繰り返しの毎日がこつこつと過ぎていく。 その間に季節は、本格的な冬を迎えようとしていた。

     

    家に帰ると、母親がまたお菓子を作っているようだった。 その甘い香りが、玄関まで漂って来ている。

    「何作ってるの?」

    キッチンへのドアを開けて尋ねると、スーパーバニラ・チーズケーキ、という答えだった。

    何? 『超バニラ』って、そんなにすごいの?

    「バニラビーンズを、これ以上ないくらいぜいたくに使ったチーズケーキよ。 バニラビーンズっていうのは、バニラの黒いさやの中に詰まっている、点々みたいに小さな種の事なんだけど、それがあの甘いバニラ本来の香りの元なの。 それを普段のものの何倍もぜいたくに使って作るチーズケーキよ。 私の通ってるF先生の、特別なレシピの一つなのよ」

    そう聞いて、そのいい香りにますます鼻をひくひくさせてしまった。 焼きあがったばかりだというので、冷めるのが待ち遠しい。

    でもその前に、僕は腹ペコだった。 母親が、

    「ごめんね、きょうはケーキに手間取って、何も用意してないの」

     

    というわけで、それから1時間後に親子二人の外食となった。

    寿司屋のテーブルに向かい合わせで、握り寿司にかぶりついていた僕に、母親は切り出した。

    「実はね、来年の春から、お父さんが向こうに来ないかって」

    「えっ!?」

    大きなイカが、のどに詰まりそうになる。

    「なんでまた急に?」

    「急でもないのよ。 2年間っていう約束でお父さんはシカゴに行ったわけだけど、いろいろあって、予定よりだいぶ延びそうなんだって。 あなたの大学の事があるから相談してみないとって、言ってあるんだけど・・・」

    母親は、何とも言えない困ったような表情だった。

     

    「それで、母さんはどうしたいの?」

    お茶を飲んで一呼吸ついてから、僕はまっすぐ母親を見て、聞いた。

    「私は正直言って、あなた一人を置いて行くのは心配よ。 お菓子教室も、せっかく、本当に楽しくなってきたところだし。 でもお父さんも、いくらメイドさんがいるとはいえ、やっぱり大変よね。 食事とか。 母さんも、2年だけならあなたの事があるから日本にいようと思ってたけど、やっぱりお父さんと暮らしたいわ」

    母さんは、僕と学校の事を心配していたわけだ。 当然かもしれないけど。 しかしそれなら、話は決まった。

    「僕は東京に残る」

    「そう・・・」

    少しの間僕の顔を見つめてから、母さんは言った。

    「そう言うだろうと思っていたんだけど。 ・・・あなたなんだか、いつの間にかずいぶん大人びたわね。 このごろそう感じてたの。 じゃあ、入試がんばりなさいよ。 浪人の息子を置いて、外国になんて行けないんだから」

     

     

     

    その夜帰って部屋に戻ると、窓辺の、いつも彼女を呼び出す時にクリスタルを置くあたりに、スイがちょこんと座っていた。

    「ちょうど呼ぼうと思っていたところなんだよ。 お菓子があるし」

    本当にそうなのだったが、スイを見つけた僕は、彼女がいる事で自分が予想以上にうれしくなっている事に気づいた。

    「きみから来てくれるなんて、うれしいよ」

    思わず素直にそう言うと、

    「それはそれは」

    と、わざとかしこまった調子で答えて、スイは笑った。

     

    キッチンに下りていくと、母親が、先ほどのケーキにナイフを入れていた。 つやのある、美しいきつね色に焼きあがったケーキ。 切り口の、カスタードクリームの色をした断面からは、バニラビーンズの黒く細かな粒々が、たくさん顔をのぞかせている。

    「上で食べるよ。 大きく切ってね」

    そう言って、それとティーポットと一緒に、こっそり用意したスイ用のカップとお皿と、小さなフォークも持って2階へ上がった。

    ちぐはぐした大きさの、二人分のカップに紅茶を注ぐ。 スイはそれをそばで見つめていた。

    小さなお茶会。 スイと一緒だと、不思議の国のアリスの世界だな、と思う。 小学校の時の担任の先生が、自習の時間にディズニー映画のそれを、こっそり見せてくれたっけ。 あとでちゃんと感想文を書かされたけど。

     

    「さて、きょうはなんの話をしましょうか?」

    僕たちはケーキに満足して、2杯目の紅茶を飲んだ。

    「来年の春に、ここを引っ越す事になった」

    「うん」

    スイはうなずく。

    「父さんの仕事の都合が変わって、まだしばらく向こうにいる事になったんだって。 だから母さんも、今度はあっちに行く事にしたらしい」

    「それで、あなたは?」

    「うん。 僕はこの家じゃ広すぎて、とても管理や何やできないし、母さんはここを、向こうに行ってる間だけ人に貸すことにしたいと言ってるから、僕も適当な安いところを見つけて引っ越しだ」

    「そう」

    「ピップは親戚に預かってもらうって」

    スイはまたうなずいた。

    「大学、滑らないようにしなきゃあな」

    ひとりでにそんな言葉が口をついたが、本当にそうだった。 ぴしゃりとひざを叩いて立ち上がり、伸びをする。 何だか武者震い。

    「がんばって!」

    何だか周囲の変化がめまぐるしい。 だが、ここですくんでいたら男じゃない。

    「じゃあ、ひとつ物理の復習でもするか」

    「さっそくね」

    スイは楽しそうににこにこしている。 その顔を見ていると、何も困難な事じゃないと思えてくる。

     

    それから 「じゃあね」と、スイは座っていた机の端からふわりと飛び立った。

    「ケーキ、とってもおいしかったわ。 お母様、本当にお菓子を作るのが上手ね」

    そう言って小さなウインクすると、パッと行ってしまった。

     

     

     

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (14)」を公開しました。 2年 6か月前

     

     

    「見て、私の鉢のも咲いたのよ」

    次の土曜日にみちるさんを見舞うと、さっそくそんな報告があった。

    「えっ、どれどれ?」

    見るといつの間にかたくさんのつぼみを持った茎は、いくつもかわいらしい花を咲かせていた。 早いものは開いてから2、3日経っているらしく、白い花びらが外側にそり返ったようになって、黄色い花芯がこんもりと盛り上がっている。

    「これをつぶすと・・・」

    と言って、僕は花の終わりかけたのを一つつまんで、花芯の部分を指先で軽くつぶした。 そのまま彼女の鼻先までそれを持って行く。

    「なんていうか、甘酸っぱいような、いい香りね」

    深く香りを吸い込んで、彼女はうれしそうに言った。

    「カモミールの香りは、リンゴに似てるって言われるらしいね。 そうそう、みちるさんに、持ってきたものがあるんだ」

    「ほんとう? いつもありがとう」

    彼女は笑って、ベッドに座ったままで少し身を乗り出した。

     

    一つめ。 それはこの前本屋で偶然目に留まり、思わず気に入って買った例の写真集だった。 みちるさんも気に入るんじゃないかと思って持ってきたが、彼女はお礼を言って受け取ると、すぐに開いてページをめくった。

    「きれいねえ・・・」

    見渡すかぎりどこまでも続く、ラヴェンダー畑の紫のさざ波。 野原を彩る真紅のヒナゲシ。 道端や畑の隅に咲く、名もない無数の花たち・・・。

    民家の庭には、それぞれが丹精込めた色とりどりの花々が植えてある。 そしてピンク、オレンジ、白、黄色・・・まるで花びらの帯で虹をかけたように美しい色彩の変化でうねる丘。 そのグラビアのページを眺めながら、彼女は目を細めた。

    「そうだったわ・・・。 向こうの人は花やハーブをとても愛していて、行くとそこらじゅうに、いつもお花が咲いてた・・・」

    きのうの晩に見た、うっとりした夢の話をするように、彼女はそう言った。

     

    「あともう一つは・・・」

    2番めに僕が取り出したのは、スイからもらった、花の波動、エネルギーを転写した水・・・フラワーエッセンスの入った、あのボトルだった。

    それは、スイレンとアザミの花のそれを転写した水だと、僕は知っていた。 それはスイが、僕のひたいに手をかざした時そう知らされたからだ。

     

    みちるさんに聞いて、備え付けの冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し、コップに3分の1ほど水を注ぐ。 その中に、エッセンスのボトルのふたも兼ねているスポイトから7滴、しずくを落とした。

    「さあ、どうぞ」

    うながされて、彼女はそれを飲んだ。

    「あまり、味はしないわね」

    「うん。 これは、お日様の下で活き活きと咲いてる花を、手を直接使わずに摘んで、すぐにきれいな水の上に浮かべて、花の波動とエネルギーとを水に写し取ったものなんだ。 だから、味や香りみたいなものは無い。 僕たち人間が、花の持つ特別な何かをもらう方法らしいよ」

    「へええ~」

    よくわからないようながらも、感心した様子でうなずいてくれた。

     

    花自体を蒸留して取り出す、アロマセラピー用のエッセンスとは、全く違う種類のものだと、付け加えて説明する。

    「少しお酒の香りが感じられるのは、ボトルの中に何滴か、防腐用として入っているアルコールのせい。 まあ、料理やお菓子に使われているのなんかと一緒だから、未成年の飲酒にはならないよ」

    僕の軽口に、彼女はくすくす笑った。

    「これを一日2、3回、同じようにして飲んでみて。 きっと、なんていうか、もっと気持ちが軽くなるっていうか、元気が出てくるはずだよ」

    「うれしいわ。 ありがとう」

    みちるさんは、本当にうれしそうに受け取ってくれた。

     

    「さてお嬢さま、せっかく咲いているこの花で、ひとつお茶でもいかがですか?」

    僕は鉢に咲いているカモミールの花を、横目でちらりと見て言った。

    「まあ、すてき」

    彼女は笑ってうなずいた。

     

    咲いているので頃合いの良さそうなのをいくつか摘んで、カップに入れた。 湯沸し室に行き、その中に、沸かしたばかりのお湯をさっと注ぐ。 生花が使える時にだけ味わえる、少しぜいたくな香りのティー。

     

    それを飲みながら、彼女の最近の話になった。

    体が、まだ以前の歩く動作の感覚を覚えている早いうちに、義足に慣れる事が必要なのだという。 義肢装具士という専門家がみちるさんの足に合わせて、歩行の練習をしながらそれを調節し、もっとも良い状態のものに仕上げてくれるという。

    「足のリハビリと一緒に上半身の筋肉も鍛えているんだけど、なまっちゃっていたから、けっこうきつくて」

    照れくさそうに笑って、彼女は言った。 そして、タオルケットの上からそっと左足に触れた。

    「でも、めげないでがんばるわ。 だってね・・・」

     

    そう言いかけて、彼女はうれしそうに僕を見た。

    「だって銀林くん、義足に慣れれば、また走ることだってできるようになるんだって!」

    「えっ!! ほんとに!?」

    僕は心底驚いた。 そして本当にうれしかった!!

    やっと彼女の、明るんだ笑顔が戻って来た。 思わず涙が出そうになる。 彼女がまた走れるようになるなんて! 僕は彼女の手を取って、ぶんぶんゆすった。

    「きみはまた、走れるんだ!!」

    「うん!」

    僕の手を握り返してうなずいた、彼女の瞳も美しい涙でうるんでいた。

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (13)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    自分の部屋に戻ってベッドに転がり、白い天井を見つめてぼんやりと考えた。

    僕が、彼女にできる事は?

    とりとめのない考えが、浮かぶとなしに、消えていく。

     

    ふと、スイの事を思い出した。 僕はスイを呼び出す事をすっかり忘れてしまっていた。

    「今は手を貸すことはできない・・・」 あの時そんなふうに言われていたせいでもあるが、今なら来てくれるだろうか?

     

    机の引き出しからクリスタルを取り出そうとしたが、知らない間に押し込まれてしまっていたらしく、くちゃくちゃに重なった紙類や文房具の中から、やっと見つかった。

    祈るような気持ちで、そっと窓辺に置く。

     

    「ハァ~イ♪」

    目の前にパッと現れたスイは、ずっこけるほど軽いノリだった。 陽気にハミングしながら、部屋の中をくるくると飛び回っている。 時々、フィギュアスケートの選手みたいに、金銀の光の粉までまき散らして、回転して見せながら。

    「久しぶり・・・」

    拍子抜けして、僕は答えた。 何だか苦笑い。

    「あなたカモミールティーをいれられるでしょ。 わたしにごちそうしてほしいなぁ」

    ・・・何でもお見通しだ。

     

    言われるままにキッチンに下りて行き、カモミールの花に沸かしたてのお湯を注いだティーポットと、それから僕とスイ用のカップを2つ用意して、部屋まで運ぶ。 ピップが気づいて付いて来そうになったので、キャットフードでごまかした。

     

    カップにティーを注ぐと、やさしい香りが手元から広がった。 その香りを深く吸い込んで思わず深呼吸すると、肩の力が抜ける。

    「それよ、それ」

    パソコンの、画面上のヘリに座っていたスイが、ふいに言った。

    「リラックスしないと、いい考えも浮かばないわ。 特に大事な問題の時にはね!」

    そしてこちらにウインク。

    なるほど。

    「悩むだけがのうじゃないわ。 気持ちを開放することで、すばらしいアイディアやひらめきが浮かぶことだってあるのよ」

     

    僕はスイに、やけどをしないよう半分くらいにお茶をついだカップを差し出した。

    ふんわりと湯気の立つお茶を二人でしばらく楽しんで、それからまたスイが言った。

     

    「さて、あなた、お医者様になろうと思っているのよね」

    僕は黙ってうなずいた。

    「それって、何のお医者様?」

    「まだはっきりと決めたわけじゃないけど・・・。 外科医かな」

    たぶんそれが一番向いているんじゃないかと思う。 何が根拠と言えるほどのものは無いけれど。

     

    「そう。 それならそれを、がんばりなさい。 あなたはあなたとして、するべきことがあるわ」

    そしてまた、こう付け加えた。

    「みちるさん。 彼女は彼女で、乗り越えなきゃならないこの人生での課題があるのよ。 あなたはその間、しっかりと手を握っていておあげなさい。 でも、自分がしなくてはいけないことを、いい加減にしてはダメよ」

    スイの言っていることは、たぶん正しい。 いや、本当の事だろう。

     

    それから彼女がパチンとひとつ手を打つと、僕の机の上に、スイの体の大きさくらいの、小さいガラスのボトルが現れた。

    「これを、今度みちるさんに会う時に持って行っておあげなさい。 花の波動のエネルギーを転写した水よ。 前に一度、少し話したことがあるわね。 きっと彼女を元気づけてくれるわ」

     

    そう言って、今度は僕の眉間のちょうど上あたりに、小さな手のひらをかざした。 それが何の花のものかという事や、その使い方が、不思議な感覚で頭の中に入って来た。 まるで説明書の転送をされたみたいだ。

    「がんばって!」

    「ありがとう」

    スイは手を振って、パッと姿を消した。 その後に、かすかな花の香りが残る。

    何ともいえない余韻の中で、僕はまた、自分の中に新しい勇気がわくのを感じていた。

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (12)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    母に尋ねる事はこれ以上できそうにもないので、自分で調べようと近くの本屋まで来た。 家の近所と言っても、ここはCDやDVDのレンタルショップも兼ねている大きな店で、駐車場も広い。 明るい店内には、分野ごとにたくさんの本が並んでいる。

    『ハーブと薬効』 とか『家庭で楽しむハーブ』 なんていう、ハーブに関する指南書はいろいろあった。 あれこれ開いて読んでみる。

    それによると、僕がスイからもらった種の花の正式名は、ジャーマンカモミールといって、もっとも親しまれている種類のハーブなのだった。 他にはミント、母親がいつもプランターに植えておいて、パスタ料理のたびに摘んでくるバジルもハーブで、シソ科なのだという。 という事は、日本古来の、刺身や梅干しに欠かせないシソもハーブなのである。 特に意識していなくても、僕たちは日ごろ充分にハーブの恩恵を受けているというわけだ。 要するに、香りよく、それを活かして食用にしたり香料の原料にし、あるいは特別なその薬効成分を抽出して使う、ハーブとは、そういう植物の総称なのだった。

     

    その中から気に入ったのを、一冊選んだ。 レジに向かおうと振り返ると、こちらに表紙を見せて立てて並べてある、グラビア本のうちの一冊が目に留まった。

    それは『ヨーロッパのハーブ、花の旅』 というタイトルの写真集だった。 ぱらりとめくってみて、なんだかとても気に入ってしまった。 値段を確かめ、それも一緒に抱えてレジに向かう。

     

    外に出ると、急に肌寒い風が、首筋をすりぬけて行った。 夕暮れだった空は、もうすっかり群青色に変わっている。

    日暮れの早さは、秋の訪れを告げていた。

     

     

     

     

     

    みちるさんの治療は、今度はリハビリの段階へと進んで行った。

     

    「きょうはみちるさんに、持ってきたものがあるんだ」

    「あら、ありがとう。 何かしら?」

    そう言って彼女は、ベッドに座ったままでにっこりした。

    「うん。 ちょっとお湯はあるかなぁ」

    「ここを出て左に曲がって少し行くと、湯沸し室があるわよ」

    「オッケー。 じゃあ、ちょっと待っていて」

    個室の部屋を出て、そこへ向かう。 彼女が思ったよりも元気そうに見えたので、とりあえずはほっとした。 でもそれは、たぶん僕や周囲の人に心配をかけまいとしている、彼女のいつものけなげさなのだろう。 リハビリという新しい段階に進んだ生活の中で、新たに生じているはずの、これから先への怖れと不安の波が、また揺り返し訪れては彼女の気持ちをくじく事を思うと・・・胸がつかまれるように痛かった。

     

    考えてばかりいる僕の頭をコツンとやるように、お湯が沸いた合図のやかんのまぬけな笛の音が、勢いよく鳴った。 きょう持ってきた、ハーブティー用の、茶こしのついたふた付きのマグカップを、カバンから取り出して洗う。 小さなクマが、ポップな色の風船をたくさん持っている絵のついたカップ。 彼女がこれを、気に入ってくれるといい。

     

    この前買った本を参考にして作った、庭のカモミールの花の天日干しにしたのを、いくつか茶こし部分に入れて、沸いたばかりのお湯を注ぐ。 すばやくふたをしてそのまま少し待ち、それをのせるお盆がないので、カップの取っ手を直接持って彼女の所まで運んだ。 こぼさないように注意しながら、やっとドアの前までたどり着く。

    「お待ちどうさま」

    サイドテーブルの上で、茶こし部分を、カップのふたを逆さにした上に取り除いて、「どうぞ」 と、彼女に渡した。

    僕が少し得意になっているのがわかるのか、彼女はとてもよろこんでくれた。 香りをゆっくり吸い込んで、

    「甘くてやわらかな、いい香りね」

    と言い、そのままひと口飲んでみた。

     

    「この味と香り・・・カモミールティーね。 なつかしいわ。 父の仕事先のイギリスに・・・そう、その時父が住んでいたのは、ロンドンの郊外にあるアパートだったんだけど、小学生のころ夏休みのたびに遊びに行っていたの。 その時そこの家主のおばさんが、冷たいのをよく作って持って来てくれたのよ。 炭酸なんかより体にいいって言ってね」

    そう言って目を細め、彼女はもうひと口飲んだ。

    突然彼女の目から、大粒の涙がいくつもあふれ出した。 動転した僕は何を言っていいのかわからずに立ち上がり、彼女の手からカップを取ると、それをサイドテーブルに置いた。 そして何も考えずに彼女を抱きしめていた。

    「ごめんね、また泣いたりして・・・。 何だかいろんなことを、いっぺんに思い出しちゃった」

    「何も言わなくていいよ」

    僕の肩に顔を付けて、肩をふるわせ、彼女は泣いていた。 やはり誰であっても、そんなに簡単に、こんな現実に慣れる事などできるはずがない。 義足を付けての歩行は、最初のうちはとても痛みがあり困難だと、他から偶然、話に聞いていた。 まして彼女は、走る事が何よりも好きだったのだから。

     

    家族が本当の意味で離ればなれに暮らすようになったのも、今年に入ってからの事だった。

    「・・・僕が一緒にいるから」

    言葉にすれば、ありきたりだ。 でも本気だった。 何かに誓えるほど。

     

    少しして泣いていた彼女は、顔を上げると、僕から離れて涙をふいた。 そして

    「ありがとう」

    と、泣いた顔で笑ってみせた。

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (11)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    目隠しの仕切りの向こう側から、「どうぞ」 と声がした。 不安が頭をかすめたが、自分の事は問題ではない。 中へ入ると、少し小さくなったように見えるみちるさんが、ベッドの上で枕に背中をもたせ掛け、こちらを向いて座っていた。

     

    「銀林くん・・・」

    つぶやくように、彼女は言った。

    やっと会えた素直な喜びで、僕は思わず頬がゆるんだ。 そんな様子を見てか、彼女も何かほっとしたような笑顔を浮かべた。

    「・・・・・・大変、だったね」

    何と言っていいのかわからなかったが、僕はとにかく彼女を安心させてあげたかった。 でも、こちらを見て何か言いかけた彼女は、そのとたん言葉に詰まって、涙をあふれさせた。

    ・・・そばまで行って、手を握りしめる。 でもふがいない僕には、なぐさめる言葉が何もみつからない。

     

    しばらく彼女の涙は止まらなかった。 いくら泣いても乾くはずのない涙。

     

    僕はふと、スイからもらった種の事を思い出した。 ポケットに手を入れてみる。 どういうわけか、あの日以来すっかり忘れていたが、ポケットに突っ込んだままでジーンズと共に放置されていたそれが、くしゃくしゃになって出てきた。

    「これ・・・友達からもらったんだ」

    そう言って、結び口のひもをほどいて、手のひらに中身を出す。

    タオルで涙をぬぐってから、みちるさんは差し出された僕の手の中をのぞき込んだ。

    「何の種かしら・・・?」

    「さあ、それは聞いてないけど・・・。 そうだ、これ、家でまいてみるよ」

    種をまく・・・当たり前だが、やっとそう思いついて言った僕の言葉に、彼女もうなずいた。 そしてちょっと考えるようにしてから、また言った。

    「その種・・・わたしもここでまいてみたい。 いいかしら?」

    「ほんとに?」

    「うん。 鉢は母に頼んで買って来てもらうわ」

    不思議だがその時の僕たちには、その種が何かとてもとても大切なものに思えたのだ。 理由なんてわからなかったが、それはふたりの間にある、たった一つの希望のように感じられたからかもしれない。

    彼女は手のひらに受け取った種を見つめ、指先で大事そうに、何度もやさしくなでていた。

     

    「きょうは来てくれてありがとう」

    帰り際そう言って、できるかぎりの明るい笑顔で僕を見送ってくれた。

     

     

     

     

    もう9月も終わろうとしていた。

    みちるさんを初めて見舞った日から、毎週土曜の午後は、彼女に会いに行くのが僕たちの約束みたいになっていた。

     

    スイからもらった種は、あの日帰宅してすぐに、庭の日当たりのよさそうな場所にまくと、さっそく芽を出してすくすくと成長した。 たった1カ月ほどで、たくさんに枝分かれした細い茎の先には、小さなつぼみがいくつもついていた。

    「僕の家のは、もうつぼみがついてるよ」

    みちるさんの病室の大きめの素焼きの鉢に芽を出した苗も、同じように活き活きとよく育ち、しなやかな茎と葉がもう僕のひざの丈くらいに伸びていた。 最初は窓辺の戸棚の上を占領していた鉢も、今では高さのつくプランタースタンドに収まり、床に置かれていた。

     

    家に帰ると、めずらしく早い時間に帰宅していた母が、庭に出て花をいじっていた。 蚊取り線香の何だか懐かしいような匂いが、あたりに立ちこめている。

    ベランダに立ったまま「きょうは早かったんだね」 と尋ねると、「これから芝居を観に行くのよ」 と、母は言った。

    夏の間、毎日咲いていた大輪の青いあさがおは、枯れかかったつるにたくさんの種を付けていた。 ポーチュラカ、矢車草・・・どれも水をやるだけで手間のかからないものばかりだったが、小さい庭を夏中ずっと、うつくしい色彩でにぎわわせてくれた。 僕もこの夏、いろいろ忙しかったらしい母親の帰りが遅い時などは、自分の苗のついでもあったが、代わって水まき係りをしたものだ。

     

    ふと気がつくと、スイからもらったのが、とうとう花開いていた。 マーガレットを小さくしたような、白くてかわいい花。

    「やった、咲いてる!」

    思わず声をあげると、母もその方に向いて言った。

    「ほんとね。 ・・・でも不思議ねえ、これ。 あなたまいたの、確かひと月くらい前よね。 なんでこんなに成長が早いのかしら。 それにこの花、春から夏前ごろにかけて盛りのものよ」

    「母さん知ってるの? これ、何の花?」

    「これはカモミールよ。 ハーブティーにして飲んだり、ポプリにしたり」

    さすが、こういう事にはすぐに答えるわが母だ。

     

    「でもほんとに不思議ね。 この庭、特別土がいいのかしら。 それにしても・・・」

    眉間にしわが寄っている。 まずい。 考え始めた母は、しつこくその事を追及するタイプだ。

    「ああっ、そうそう。 そういえばあした学校で奉仕活動があって、エプロンと軍手がいるんだっけ。 行く前に出しておいてくれないかなあ。 ほら、もうすぐ出かける時間になっちゃうし!」

    大振りでわざとらしく自分の腕時計を見て、声が裏返りそうになりながらも必死で話題を変える。

    「もう! そういうことは早くから言っておいてと、いつも言ってるでしょう」

    そう言って、母がプンプン2階に上がって行くのを見ながら、その背中にあやまる。 「ゴメンね母さん。 だって今思いついたんだ」

     

    スイが種に「魔法をかけておいた」 と言っていた意味が、これでわかったのだった。

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (10)」を公開しました。 2年 7か月前

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (9)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    朝からピーカンだ。

    きのう開会式を終え、インターハイはきょうから各種競技の試合が始まる。 陸上競技は男女とも、きょう100メートル走がある。 もちろん、みちるさんも走る。 僕は家のテレビで応援するのだ。

    いそいそと2階から下りて来てテレビをつけ、チャンネルをケーブルテレビの局に合わせた。 フローリングの冷たさに涼を求めてごろごろと寝返っているピップと目が合う。 フン、という感じでまた反対の方に寝返る。 かわいげの無いやつだ。

     

    彼女は10時から始まる予選の、第6組3コースだと知らされていた。

    第1組、ゼッケンをつけてコースに並んでいる選手が、端から紹介される。 緊張した面持ちで、それぞれが手足を動かしてウオーミングアップをしている。 皆早そうに見えるが、それぞれの都道府県代表なのだから、そう見えて当然と言えよう。

     

    着々と予選の順番が消化され、次はみちるさんを含めた6組だった。

    パーン! というスタートの合図と共に、いっせいにきれいなスタートを切った。 「よし! がんばれ!」 と思わず大きな声援を送るが、それはむなしく部屋に響いた。 あっという間のゴールと共に、まもなく結果が掲示された。 彼女は1着だ! タイムも悪くない。 出だしとしては上々だ。

    その後の予選でも1、2着を続け、次の日決勝まで進んだ彼女はそこで敗れた。 あと一歩だったのが本当に残念だったが、彼女の走りはとてもきれいで感動的だった。

    僕は生涯忘れない。

     

     

     

     

     

     

    それは突然訪れた。

     

    何も連絡なく、週末のランニングの約束を2日も続けてすっぽかすなんて、彼女には考えられない事だった。 それに、今週は一度もメールが来ていない。

    僕からしても、返事が来ない。 日曜日、一人で走り終えて帰宅した後、心配になって初めて彼女の家に電話してみると、受話器の向こう側からみちるさんとよく似た声で名乗ったので、てっきり彼女かと思った。

    「あっ、ごめん・・・。 銀林です。 きのうもきょうも来なかったから、ちょっと心配になって・・・」

     

    その言葉がけに対する一瞬のためらいのようなものが感じられて、僕の中に電話をかけてしまった事を後悔する気持ちがよぎった。

    だが、受話機の向こう側から続いた返事は、予想とはまったく別のものだった。

    「銀林・・・さんですか? 私は妹のみのるといいます。 実は、姉は、交通事故に遭ってしまって・・・」

    「ええっ!!」

    「・・・今病院にいるんです」

    思いがけないその言葉に、一瞬頭の中が白くなった。 電話の相手は、本当ならイギリスにいるはずのみのるさんだったから。

    「それで、彼女・・・みちるさんは、大丈夫なんですか!?」

    動転した僕が思わず大声で聞くと、みのるさんは重苦しそうに・・・それでもつとめて冷静に、事情を説明してくれた。

    みちるさんが事故に遭ったのは、もう5日も前で、夕方、彼女が学校からの帰宅途中、信号が変わるギリギリのタイミングで交差点に進入してきたバイクが、左折しようとしたがスピードの出しすぎから曲がり切れず、スリップして転んだ拍子に、信号待ちをしていた彼女も巻き込んだのだという。

    「姉は・・・姉は、左足が、もうダメだったんです。 手術するしかなくて・・・。 おととい初めて目を覚ました時に、銀林くんに会いたいって、私に・・・」

    心臓の脈打つ音が、耳に直に聞こえるようだった。 頭がぐるぐると回っている。

     

    みのるさんには、今行っても面会できないと言われたが、だからと言ってじっとしていられるわけもなかった。 病院の場所を聞き、急いで支度をする。

    ふと、引き出しにしまってあるクリスタルの事が浮かんだ。 思わず取り出して窓辺に置くと、すっと、スイは目の前に現れた。 その顔には、いつもの茶目っ気のある笑顔は無い。

    無言で僕を見ているスイは、何もかも知っているようだ。

     

    「あなたがきっと、彼女の気持ちのいちばん近くにいられるわ」

    そう言うと、右手を大きく回して、空中から何かを取り出した。

    それはスイの体ほどの大きさの、白い木綿の袋だった。 差し出されたそれを受け取って、開けてもいいのか目で問いかける。 何だか手が震えながらも結び口のひもをほどいてみると、中には、風がひと吹きでもすればすぐに飛んでしまいそうな、小さな小さな種が入っていた。

    「魔法をかけておいたわ」

    そう、スイは言った。

    「わたしは、あなたが自分の力でここを切り抜けるまで、手を貸すことはできないの。 ハートにメッセージを送るだけよ。 あなたが試されている時にはつらくても黙って見守る、それがあなたたちを助ける時のルールだから」

    思わぬその言葉にとまどう僕の耳元に来て、彼女は言葉に力を込めた。

    「あなた自身の中にある、内なる力を思い出して。 そして、わたしと話したいろいろな事を。 それがきっと、ふたりを助けるはずよ!」

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (8)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    夏の太陽が、むき出しになった腕や肩を灼く。 きょうもきっと、晴天の一日に違いなかった。 朝だというのに、じっとしていても汗が出てくる。

    伸びっ放しだった広場の雑草はきれいに刈られたばかりのようで、むせるような濃い草いきれの匂いが、わずかな風に乗って流れて来る。

    きょう、みちるさんは来ない。 朝からクラブの打合せだと言っていた。

     

    一人で走りに来たものの、やはりなんとなく気合いが入らない。 情けない話だ。

    川沿いの歩道を前だけ見て、とにかく走り出す。 夜、時間のある時には、みちるさんに内緒で少しずつ走ってはいたものの、あとは週末ロングで走ってどうにか続けていた。 それでも2カ月ほどの間で、最初よりはるかに足が軽くなっているのがわかる。 次の一歩を踏み出す時の感じが、何か弾むようなのだ。

     

    歩道わきに咲く、濃いピンクのおしろい花が、ほのかな甘い香りを漂わせてたくさん咲いていた。 夏の日差しに濃い色の花はよく映える。

    最近になって、川に沿って点在する公園のあちこちに、子供の遊具に混じって、大人のためのストレッチ用の補助具がいろいろと備え付けられた。 ジョギングや散歩をしに来た人たちが、思い思いにそれにつかまって、ついでに体を伸ばしている。 市民が楽しんで健康づくりができるようにと手を貸すなんて、僕の住んでいる町のお偉方は、きっと人生に対してさわやかな発想というものができるのだろう。

    帰りの道で、猫じゃらしの青い穂が、ゆらゆら風に揺れているのを見つけた。 ピップのために2本抜く。 あいつ、母さんがやさしいからといって、最近調子に乗りすぎだと思う。 少ししつけが必要だな。

     

    家に着くと、母親はもういなかった。 キッチンのテーブルに、目玉焼きや他のおかずののったお皿の、ラップしたのがあって、その横にパンがある。

    最近母は、以前からずっと習いたいと思っていたらしい、あこがれの先生のお菓子教室に通い始めたようだった。

    「まだ最初だから、デコレーションなんかはしない、焼きっぱなしの焼き菓子なのよ」

    夕方帰って来た母から、その日作ってきたというパウンドケーキを食べさせてもらった。 それはほんのりと洋酒の香りがしてスパイスの効いた、凝った味のフルーツケーキなのだった。 おいしかった。 僕にもわかる。 今までこんなの食べた事がないし、たぶんどこでも売っているものじゃない。 お菓子もきっと、奥が深いのだ。

     

    その夜、母親のきょうの作品のケーキを少しお皿に用意して、スイを招いた。 現れた彼女はひと目見るなり、

    「おいしそう!」

    と目を輝かせた。 エスプレッソ用のカップについだ紅茶 (彼女にとっては巨大マグカップだったが。 スイは意外な力持ちで、自分の体の半分ほどの物でもなぜか難なく持ち上げていた) といっしょに、それを楽しんでいるスイから、きょうも彼女の世界のいろいろな話を聞く。

    「わたしたちはふだん、今あなたとこうしているのとは別の次元にいるのだけれど、そこには時間と空間という制約がないの。 会いたいと思った相手にはすぐに会いに行けるし、行きたい場所へも、そこを思い浮かべた瞬間に、すぐに移動できるわ。 それに会話はみんな、テレパシー・・・そういうエネルギーのやり取りでするから、言葉が違うからコミュニケーションが取れない、なんて不自由なこともないのよ」

    「へえ~っ!」

    うらやましい気がする。 この世界でもしもその方法が使えたら、どんなに便利で省エネだろう・・・と一瞬思うが、この物質の世界では大体不可能だろう。 それに、旅の楽しさは・・・それに向けての準備や、移動も含めた楽しさでもあるわけだし、こちらはこちらで、よくできているのかもしれない。

    いにしえに、自分の足や動物に頼ってしか移動できなかった距離は、それぞれの地特有の民族性や多様性を育んできたのだ。 やはり僕はこちら側に生きる人間として、この世界を愛しているのだな、と思う。 しかし、意思疎通の不自由さがなくなれば・・・それはそれで表向きの社会生活にとっては都合が良く、便利な事には違いない。 でも、言葉にできない想い・・・知られたくない考えは、どう隠したらいいんだろう?

    そんな事を考えていたら、スイがやれやれという顔をした。

     

    「そういえば、きみは花の精だけど、他にはどんな仲間がいるの? いろいろいるの?」

    「ええ、たくさん」

    そう言って、スイは大きくうなずいた。

    「ありとあらゆる植物や自然の、妖精や精霊と呼ばれる仲間たちがいるわ。 それに火や光、水や風、およそこの世界を構成する要素であれば、必ずそれをつかさどって、その力を統制している存在がいるの」

    「まるで、おとぎ話だね」

    僕がそう言うと、スイは笑った。

    「そう、『青い鳥』や『オズの魔法使い』 なんかの物語は、作者にこちらの世界の情報を受け取る回路があったのよ。 チャネルと言えばいいかしら。 あれはただの思いつきなんかじゃないの」

    「すごいね。 なんだかおもしろい!」

     

    僕は本当に感心していた。 僕たちの生きているこの世界が、気づいていないだけで、実はそうした異次元の世界とつながっているなんて!

    そしてそれは、きっといずれは誰もが経験する事のできる世界であり、喜びなんだ。 そんな可能性を考えるとたまらなくわくわくしてくる。

    もしかしたら、この事をたくさんの人が知る事は、隠そうとしてももはや隠しきれないほどに傾いてしまっている、今のこの現実の社会問題や自然環境を立て直す、一つの大きな可能性なのじゃないだろうか。

     

    お茶を飲んでいたスイは、ひと息ついてまた言った。

    「それから、わたしたち花の精がとくに力を注いでいるのは、花や植物の生命力を、エッセンスやエネルギーの形で取り出して、人の健康や治療に役立てる方法なの」

    「アロマなら、たまに母さんが部屋の隅で、香らせていたりするけど」

    「それが一番知られているし、一般的でなじみ深い方法かしらね。 エッセンスの成分を、香らせたり、オイルを通して体にすり込んだりすることで、軽い痛みや疲れを取るのよ」

    それなら聞いたことがある。

    「それともう一つ、この国ではまだ、アロマセラピーほどには知られていない方法なんだけど、花の持つ、波動のエネルギーを体に取り入れる事で、心身を癒すという花療法があるの。 エドワード・バッチ博士というイギリス人が、1930年代に初めて、花の精霊たちに導かれながら、人に用いることのできるエッセンスの形にしたのよ。 フラワーエッセンスという呼び名だけど、実際の作り方も使い方も、アロマのエッセンスとは全然違っているわ。 その説明は、またの機会にするとして・・・」

     

    スイはカップのお茶を飲み干して言った。

    「わたしたちはいつでも、チャンスがあればたくさんのことを知らせようと、人々の直観に働きかけているわ。 だから・・・これはすべての人に言えるのだけど、日常の中でふと浮かんできた考えや思いつきを、これは現実的じゃないとか、単なる気のせいとか思い直して意識の外に押しやってしまわずに、もっと注意を払ってほしいのよ。 そしてそこに、何かのメッセージがないだろうかと考えて・・・」

    最後は独り言のようにつぶやくと、

    「ごちそうさま。 とってもおいしかったわ。 じゃあまた!」

    と、いつものように消えてしまった。

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (7)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    すぐそこまで真夏が来ている事を予感させる暑さが、ここ何日か続いていた。

    あれから一カ月が駆け足で過ぎて行った。

    その4回の土日のうちの、2 回分のみちるさんとの約束は、1回は雨によって、そしてもう1回は、みちるさんのインターハイの出場権を得るための予選会によって流れた。

     

    みちるさんとは会って話すたびに、ちょっとした事をよく知っている彼女の賢さにも驚かされたが、それよりも僕の気持ちは、さりげないやさしさや、うまくは言えないが、内側のひたむきな強さ・・・みたいなものにひかれて行った。 心がもっと、彼女に傾いていくのをを感じながら、なぜか彼女がそういう人だという事を、僕は初めからわかっていたような気がするのが不思議だった。

     

    夜。

    網戸を閉めて窓を開け放す。 夏の虫が鳴く声がする。

    スイを呼び出そうと、窓辺にクリスタルを置いた。 とたんにそこに光の粒子が集まるように見えると、スイが部屋の中に姿を現した。

    「お呼びかしら?」

    「うん」

    と、僕は言った。

    「来てくれてありがとう。 でも、きみ、早かったね。 瞬間移動はルール違反じゃなかったっけ?」

    スイはぺろりと小さな舌を出す。

    「いいのよ。 きょうは一日めいっぱい働いたんだから」

    そう言って飛びながら、くるりと僕の周りを回った。

    そんな彼女の様子を見ながら、ふと思った。 スイとの間には、不思議と最初から、ほとんど遠慮や気がねというものがなかった。 何だか身内みたいというか。 相手が人間じゃないから・・・という事でもない気がする。 もしかすると、彼女の方もそうなんじゃないだろうか。

    「きみとは、昔からの友達みたいな気がするよ」

    唐突な僕のつぶやきに、スイはこう返事した。

    「あら、昔っからの仲良しよ。 たぶんね」

    事もなげにそう言って、ウインクする。 体は小さいが、いつもクールで何か頼りになる存在。

     

    「ところで、今きみが学んでいる事を、よかったら僕にも少し話してくれない?」

    そう問われて、スイが話し始めたのは、『ヒーリング』する事の、意味と大切さ、についてだった。

    「悲しみや苦しみが長引くと、人はだんだん生きようとする力・・・生命力が弱くなってしまうわ。 心は目には見えないけど、体と同じように疲れたり病んだりするし、それに心の在り方は、いつでも直接体の健康に作用しているわよね。 だから、体と同じように、心もヒーリングして、ケアする必要があるの」

    そして、こう言った。

    「いろんな場合があるわよね。 心の痛み・・・。 たとえば、自分の心が痛んでいても、それを意識したり、どういうことなのか理解できないでいる人たちもいるわ。 幼い頃から自分という者の大切さを、身近にいる大人に教えてもらえなかったり、時には大切だと感じることも許されずに、大人になってしまった人が。 子供の頃そうだったように、自分が感じた欲求をあきらめから表現できずに、胸の奥に隠したり、しまいこんだりしてしまう。 その部分の心の成長・・・時間が、そこで止まってしまっているの。 そういう人はたいてい、自分を大切にしたり、尊重するということがどういうことなのかわからないし、人間関係がうまくいかずに苦しんでいることも多いわ。 解決策が何なのか、わからないのよ」

     

    スイは小さく息をついた。

    「大いなる、自然の受容。 そのうちの、何かの方法を提供すること。 考えとして理解するのが難しくても、時代を超えて変わらない、普遍の愛情を感覚で受け取ることは誰でもできるし、絶対の方法なの。 そうして、自分という存在の深い場所、魂で、自分が本当に価値ある、この世でたった一人の大切な存在だと感じることができれば、そこからまた、新しく生き直せるわ。 その手助けが、わたしの学び」

     

    そう言ったスイの体が光りだして・・・彼女の周囲も光を増して輝き始めて・・・どんどん大きな、抱えなければ持てないほどの、美しい金色に輝く光の球体になった。 その精妙にきらめく光のたまは、僕がだんだんスイの事を心配し始めるのと同時に小さくなって行き・・・元のスイがその中にいた。

     

    「ああ、もう。 どうなっちゃったのかと思ったよ!  でも、・・・うまく言えないけど、何だかわかるような気がするよ。 きみの気持ちが。 僕は医者になりたいと思ってるけど、病気を治す手助けをする事で、心の重荷も外してあげられるような、そんな医者になりたいと思う」

    スイはお姉さんみたいな笑顔でうなずいた。

    「この世界には、この次元で生きているからこそ生じる、さまざまな苦しみがあるの。 それは、あらゆる場合に生まれるわ。 だから、そうして苦しんでいる人たちのための、少しでも力になれればいいと思う。 でも、わたしみたいに働いている存在は、ほかにもたくさんいるわ。 それがその存在の、存在している意味でもあるんだけど。 彼らが黙って、たゆまず環境や、植物の成長や実りに気を配っているからこそ、この世界は美しさを保っているのよ」

     

    きっと、そうに違いないのだろう。

    目の前にスイがいる。 それは本当であり、彼女が話す事のすべてを、その確かな存在感が肯定しているように思えた。

    「僕は・・・きみたちのために、何をすればいいの?」

    思わずそう聞いていた。

    スイは僕のもっと近くまで飛んできて、ちょこんと肩に乗った。 そして、耳元でささやくように言った。

    「そうね。 あなたがあなたらしさを充分に発揮すること。 そうできるように努力すること。 それはいつ、どんな時にもよ」

    いつ、どんな時にも・・・。

    「あなたの正直な思いを大切に。 本当に大切にしなければならないと、心の底が感じていることを信じること。・・・」

    「・・・」

    「次の扉を開く鍵は、月並みだけどやっぱり愛なの。 無償の愛。 与えることで生きる愛。 それはいのち、そしてもっとも深いところの自分自身・・・たましいを目覚めさせる鍵」

     

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (6)」を公開しました。 2年 7か月前

     

    試験もなんとかやり過ごし、目覚めの気分はきょうの天気みたいに晴れ晴れしていた。

    窓を開け、思い切り伸びをする。 夜のうちの雨に洗われた空気が澄んで、陽の光が何もかもをきらきらと美しく見せていた。

     

    土曜だというのにずいぶん早くに目が覚めてしまったので、散歩でもしようと家を出る。

    まだ6 時半を回ったばかりだが、夜明けが早いせいか、家からほど近い大きな広場を持つ公園には、もうけっこう人が出て来ていた。

     

    このあたりは都心からさほど遠くないのに、緑豊かな自然が残っている数少ない地域だ。 広い公園内には、以前このあたりが雑木林だった事をうかがわせる、さまざまな種類の自然林が数多く残っていて、樹齢幾百年という巨木には、それぞれに保護指定のプレートが下げられていた。 そして、そばを流れる、あまりきれいだとは言えない小さな川にも、よくいるカモばかりでなく、サギやウなどの水鳥たちが生息していた。

    その川沿いの歩道を、大小さまざまな犬が散歩しているが、雑種というのはあまり見かけない。 しかし、マンションも多く、庭先もあまり広いとは言えないはずのこの町の住宅の、どこでこんなにたくさんの犬が飼われているのか不思議なくらいだ。

    公園の広い遊歩道を挟むようにして立っている、大木のケヤキの枝や葉が高いところで重なり合って、ドームみたいな日よけの天井を作っていた。 なんとなく立ち止まり、大きく一つ深呼吸・・・。

    「あら、おはよう!」

    声のした方に振り向くと、なんとみちるさんがいた!

    「お、おはよう!」

    グッド・ハプニングだけど、朝だというのに心臓がばくばくいっている。 先日、彼女にせっかくメールアドレスを教えてもらったのに、テスト直前だったという事と、今一歩の勇気不足で、僕は彼女にメールするタイミングを逃していた。

    「散歩しに来たの?」

    ジョギングの途中らしかった彼女は、白のTシャツに短パン姿で息を弾ませながら、僕にそう尋ねた。

    「うん。 試験も終わったし、早起きしたから、たまには健康にいい事でもしてみようかと・・・。 それより、・・・文月さんは、いつもここらへんを走ってるの?」

    彼女は首にかけていたタオルで額の汗をふくと、にっこりして答えた。

    「土日はね。 朝晴れていれば、走るわよ。 ええと、お名前・・・まだうかがっていなかったわ」

    「僕は銀林。 銀色の、林って書くんだけど、銀林健斗です」

    「それじゃあ、銀林くんも、走ってみたら?」

     

    というわけで、次の日から一緒に走る事になってしまった。 彼女に会えるのはものすごくうれしいのだが、川沿いの道を往復して5キロほども走るのは、慣れてない僕にはやはりキツかった。 鹿みたいに身軽に走る彼女とは対照的で、僕はハアハアいいながらついて行くのがやっとだった。

    しかし彼女は、

    「最初からついて来れるなんて、銀林くん、やるじゃない」

    と言ってくれた。 そりゃそうだろう。 彼女にカッコわるいと思われたくなくて、今までで一番気合の入ったハイペースの走りをしたんだから。

     

    僕たちは近くの自動販売機でスポーツドリンクを買って、川に向いて据えつけてある、空いていたベンチの一つに座った。

    「文月さんは、いつからこの町に住んでるの?」

    知ってはいたが、尋ねてみる。 彼女の事を、直接彼女に聞いてみたかったから。

    「今年の3月に越してきたばかりよ。 いろいろ、うちの事情があって」

    「そうなんだ」

    「銀林くんは、ずっとこのへんに住んでるの?」

    「いや、僕も4年前に、二つ向こうの駅の町から越して来たんだ。 親が家を建てたんで。 今は父親が単身赴任中だから、母親と二人で暮らしてる」

    「そう。 私も母と二人で住んでるわ。 父と妹はイギリスに行っちゃった。 父の仕事に都合がよくて。 ・・・両親が、離婚しちゃったからね」

    横顔がやっぱり寂しそうだったので・・・僕も何だか、言葉につまる。

    「でも、それはしようがないし。 私も、もう子供じゃないから」

    そう言って、彼女は笑ってみせた。 僕はその言葉に、ただうなずくしかなかった。

     

    「銀林くんて、あの制服からすると宮の坂高校よね。 あそこはえり抜きの進学校だけど、将来は何になりたいと思ってるの?」

    「医者・・・」

    と答えてから、そのあとの言葉が見つからない。 人の病気を治すのが医者の仕事なのはわかるのだが、果たして何科の医者を目指そうとか、そういう具体的なものが漠然としていた。

    「そう。 あなた、いいお医者さんになるわね。 そんな気がするもの」

    彼女がそんなふうに言ってくれるなんて! 僕はすごくうれしかった。

    「文月さんの・・・将来の夢は、何?」

    彼女は少し首をかしげて言った。

    「そうねぇ。 まだはっきりしないかなぁ。 いろいろ考えてはみるんだけど。 でも、今一番がんばれるのは・・・」

    「走る事!」

    彼女が言うよりも先に、僕がすばやく答えを言った。

    「かな?」

    「正解よ」

    彼女はちょっと驚いたような目をしたが、すぐにくすくすと笑い出した。 思わず顔を見合わせて、笑ってしまう。

    一羽のカモがしぶきをあげて、水面に上手に着水した。

     

     

     

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    窓辺のクリスタル。 スイを呼ぶ合図だ。

    少しドキドキする。 ほんとに彼女は来るのだろうか。

    すると間もなく、窓を小さくノックする音が聞こえた。 背中の羽をひらひらさせて空中に浮いたまま、スイがそら豆ほどの大きさの石を持って、外からガラスにコツンコツンとノックしていた。

    「お呼びかしら」

    石をポイと捨てると、僕が少し開けておいた窓のすき間からするりと入って来て言った。

    「元気なの?」

    いつもと変わらないように見えるけど、僕はとりあえず聞いてみる。

    「うん、まあまあね。 でも今の季節は、ほかのどんな時季よりお仕事がたくさんあって、いろいろ忙しいのよね」

    そう、彼女は言った。

     

    しかし、妖精の仕事って、いったいどんな事だろう?  不思議そうな顔をしていたらしい僕の頭の中を読んだのか、スイは言った。

    「そうねぇ。 わたしは花の精だから、いろいろな場所に行って、そこの花がきれいに咲くように手伝ったり、病気になったり枯れかかっていたりするものを、どう世話すればまた活き返らせてあげられるのかを、その知恵を必要としている人間の直観に、わかりやすく伝えてあげるとか。 植物に必要なことを、虫と交渉したりもするわね」

    「へえ~」

    「あとは、さまざまな種類の植物の精霊たち・・・わたしみたいな存在がいることを、もっとたくさんの人たちに感覚や直観で気づいてもらうことも、大切な役目のひとつね。 自然のエネルギーを、より感じ取ってもらうこと。 そのためには、わたし自身のエネルギーの波動を高めなきゃならないの。 どうすればそれができるのかと言えば、このあなた方の世界と同じ形をとって学べば、できるのね。 だから面倒でも、この物質世界のルール・・・同じように形や重さのある姿になったりしなくちゃならないの。 けっこう疲れるのよ、これ」

    「要するに、きみたちはふだんは、体なんて必要ないんだね」

    「そうよ」

    「でもきみたちのそんな努力とは関係なく、人間は無造作に、ほとんど考えも無しに木を切ったり、自然に踏み込んで我がもの顔に荒らしたりしてるよね」

    「ええ、そうね」

    スイはひとつ、小さくため息をついてから言った。

    「でも一方で、そんな人たちばかりじゃないわ。 それに壊す人たちも、ある意味じゃ、犠牲者だったりもするし。 まあとにかく、それはいいのよ。 わたしももっとずっと幼稚な時代に、たくさんほかの存在から助けられてきたし、だから今度はわたしがその役目をするの。 何よりそれが、わたしの学びになるのよ!」

    スイは学び、のところに力をこめた。

    スイが話すような、彼女たちの自然界や人間への働きかけも大切なのかもしれないが、僕には何より単純に、スイの存在そのものの事を、今の物質世界の肥大化した欲求に、実は苦しんでいる多くの人々に知らせなければならないのではないかと思った。 もちろん、聞く耳を持たない人には、大いなるナンセンスなのかもしれないけれど・・・。

     

    しかし、僕はどうしてこの事をフツーに受け入れてしまっているのだろう。 浮かんだとたんにスイは、こともなげにそれに答えた。

    「それはあなたの中に、すでに、わたしの存在を感じ取るちからが、あるからなのよ」

    「え?」

    「それがわかったから、わたしはあなたに声を掛けたの。 とりあえず、そのワケについては、また今度。 ところであなた、きょうはどうしてわたしを呼んだの?」

    「ああ・・・そうだ」 ハッとして僕は言った。 「実はきょう、2 度も偶然みちるさんに会った」

    「そう、よかったわね」

    スイはにっこりうなずいた。

    「うん。 それに・・・」

    なんとなく照れくさくなり、口ごもる。

    「きみがどうしているのかなって、さ」

    「ありがと。 気にかけてくれて」

    そう言って、小さな肩をすくめてみせた。

    「それにしては、わたしを呼ぶのが、ずいぶん遅かったんじゃない?」

    「今はテスト前だし、他の事を考えている余裕なんてないよ」

    それは本当だった。

    「彼女に連絡先をもらったんだ。 だから、きみには知らせなきゃと思って・・・」

    「そう」 と、スイはまた、にっこり笑ってうなずいた。

     

    カリカリ・・・カリカリ・・・。 ひっかくような音が、部屋のドアの向こう側から聞こえてきた。 ピップが中へ入れてよ、と言っているのだ。

    「じゃあ、わたしは退散するわ」

    そう言ってスイは、きょうは窓からどこかへ飛んで行ってしまった。

     

     

     

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    学校と受験勉強だけの単調な毎日を繰り返すうちに、これといった変化もないまま2 週間が過ぎて行った。

    あの日の夜以来、スイはちっとも姿を見せない。

     

    僕が、もらったクリスタルを窓辺に置かないせいでもあるが、彼女を呼びつけて、まさか今度は「縁結びのきっかけを作ってください」 なんてみっともない願い事ができるはずもなかった。

     

    そんな事より、僕には今、学校の中間試験がひかえているのだ・・・なむさん。 とりあえずは、それ以外の何かを考えている余裕なんてない。 ゆうべ悪あがきの夜更かしをしたせいで、頭が少しぼんやりしている。 朝食のパンを黙ってもぐもぐいわせながら足元を見ると、きょうは雨なので外遊びに行かないらしいピップが、きのう母親が彼女のために買ってきた猫用の、投げてバウンドするとあらぬ方向に転がるボールのおもちゃに、捕まえてかみついては、ケリを入れていた。

    「行ってきます」

    椅子から立ち上がってそう言うと、母親が、

    「時間がなくても、歯磨きだけはていねいにして行きなさいよ」

    と、言った。 信用されているのか単なる手抜きか、いろいろ干渉しない母ではあるが、歯磨きに関しては子供に言うようにうるさかった。 歯の健康は見た目以上にとても大切なもので、とても奥の深いものらしいが、僕もそうなのだろうと素直に思う。 母親の熱心さのおかげで、小学生のころの僕は、虫歯ゼロの小さな賞状を毎年もらっていた。

     

    「行ってきます」

    洗面所で口をすすぎ終えると、今度こそ家を後にし、駅へ向かう。

    急ぎ足で歩く、道の途中の植え込みや石垣の上に、あじさいの花が色とりどりに並んで咲いていた。 この季節になるまでその存在を忘れているが、6月の雨に打たれてしっとりと咲いているその花は、「わたし、この時を待っていたのよ」 とでも言いたそうなほど、生気を帯びていてきれいなものだ。

     

    駅前の商店街が近くなるにつれ、傘の量がぐんと増えてきた。 交差点で待つ間、重なった傘がほかの人の肩にしずくを落とさないように、なんとなく気をつける。

    がしゃーん!! カン、カン・・・

     

    ふいに後ろで大きな音がしたので振り返ると、彼女だ・・・! 少し離れた場所でみちるさんが、取っ手がとれて投げ出された紙袋から、大量の缶飲料らしきものを道に落としてあわてていた。

    横を通り過ぎる人の中には、手伝ってあげたそうなそぶりをみせたり、自分の足元に転がっているのを彼女の近くに拾って置いていってくれる人もいたのだが、何せ月曜の朝、もう8 時を回る寸前で、たいていの人はたぶん時間に間に合うかどうかという状況らしく、他の事にかまっている余裕は無いようだった。

     

    思い切って駆け寄り、僕は、持っていた傘をたたんだ。

    「ちょっと待っててください」

    そう彼女に声を掛けてから、すぐ横のコンビニに入った。 すばやく雑誌とガムを買い、店員に事情を話して、一番大きなポリエチレンの買い物袋を2枚もらった。 買ったものは自分のカバンにしまい、袋を二重にしながら店を出て、落ちて散らばった缶を全部その中に拾い集めた。

    袋はパンパンだった。

    「ありがとう。 本当に助かりました」

    彼女は肩を小さくすぼめて、でも笑顔でそう言ってくれ、おじぎをした。 スイみたいに目がきらきらしている。 きっと、本当によろこんでくれているのだ。

    「それじゃあ、気をつけて」

    と言うだけが精いっぱいで、タイミングよく信号が変わったのを見て、僕はそそくさとそこを後にした。

     

     

    帰りは雨が上がっていた。

    朝と同じ交差点で立ち止まる。

    目を上げると、澄んだ水色の空にはうっすらと白い雲がかかっていて、そしてそのまたずっと下の方を、ちぎれた灰色の雨雲が違う速度でどんどん風に流されていく。 その雲のさまをぼんやりと眺めながら、僕は今朝のことを思い出していた。

    「あの・・・」

    後ろで声がした。

    「あの、すみません」

    えっ、僕か? 驚いて振り向くと、そこにはみちるさんがいた!

    「今朝はありがとうございました」

    「・・・どっ、どういたしまして」

    うわずってしまって焦る。 彼女は僕が、「あなたのことが気になって気になって・・・」 なんていう事を、つゆほども知るわけないのだ。

    しかし、なんとか平静さを装って尋ねた。

    「でもあれ、どうしてあんなに持っていたの?」

    我ながら、変な質問だ。

    「あれ・・・あの缶コーヒーは、うちの母が働いている会社の製品なの。 缶のデザインを変えるというので、今までのを安く払い下げてもらって来たらしいんだけど、今からの季節に缶コーヒーがうちにあっても、誰も飲まないし、ジャマだし、じゃあクラブにでも持って行こうかと思って・・・」

    「それであんな事に?」

    「そうなの」

    と、彼女は言った。 それからうつむきかげんに、雨の日に紙袋なんて考えが足りなかったわ、とか、ほかの人にも迷惑をかけてしまって・・・などとつぶやいた。

    僕はと言えばその間、なんとなく彼女のその・・・白い半袖と薄いグレーのスカートの制服からすらりと伸びて、アスリートっぽくぴしっと引き締まった手足に見とれて・・・いや、感心していた。 やはり走るのが速そうだ。

    ・・・しかし、朝の件を思い出しながら、彼女がまた少ししょんぼりしているようだったので、話題を変えた。

    「ところで、クラブと言ってたけど、何をしてるの?」

    とぼけて聞いてみる。

    「陸上・・・短距離走をね。 好きなのよ、速く走るのが」

    おもしろい答えだな、と思う。速く走るのが好きだなんて。

     

    話している間に、けっこう待ち時間の長い信号は何回も青になっていたらしい。 なんとなく横にあった写真屋の現在時刻の時計を見ると、さっきから10分ほど過ぎていた。 きょうはこれから塾だっけ。 僕の目線に彼女の方も時計を見て目を丸くした。

    「いけない! 早く帰らなきゃ。 きょうは家にお客様が来るのよ」

    それじゃあと、ぺこりとおじぎをして素早く身をひるがえして行きかけた彼女に、

    「あの、待って!」

    思わずそう口走ってしまっていた。

    「名前を・・・」

    僕の苦しそう?  な表情を読んだのか、思いがけなく彼女はカバンからメモ用紙を取り出すと、自分の名前とメールアドレスをさらさら書いた。 そして僕に手渡すと、

    「大高高校の2 年です。 じゃあまた!」

    そう言って、信号が青に変わるとすぐに、風のように走って行った。

     

     

     

     

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    スイの話によると、こうだった。

     

    僕の気になる彼女・・・ようするにみちるさんだが・・・は、去年の両親の離婚が元で、ついふた月前の3月から、妹の方は父親に付いてイギリスへ行き、彼女は両親とこの東京に残ったのだそうだ。 だから、この近くに引っ越して来た彼女を見かけるようになったのが、ここ最近だったというわけだ。 スイいわく、「どちらの事を尋ねられたのかはっきりしなかったので、仕方がないから彼女の周りのあらゆるもの・・・たとえば着ていた服とか食器とか・・・からも情報を集めた」 らしかった。 そういった無機物からエネルギーを感じ取って情報収集するというのは、スイにとっても大変な作業らしかった。

    僕の中にあった情報からスイが読んだのは、みちるさんのものに混じって、遠目で見かけてカン違いしてしまっていたらしい、ちょうどイギリスに引っ越す前に、以前の家からみちるさんの元を何度か訪ねて来ていた妹・・・みのるさんの分も混じっていて、それが調査?を、難しくしたらしい。

     

    いろいろな事がわかってくるにつれ、「ちょっとだけ、悲しくなった」 と、スイは言った。

    「離婚なんて、掃いて捨てるほどよくある話だけど、いつも迷惑するのは当人同士じゃなくて、子供の方よね」

    本当に、そうなのだろう。

    「まあ、彼女たちは大きくなっちゃってたから、そのことに納得してはいたみたいだけど。 ところであなた、彼女たちが双子だったってこと、ほんとに気づかなかったの?」

    気づかなかった。 思わず、うなずく。

    「まあいいわ。 通っていた学校は、姉妹で違っていたみたいね」

    「そうなんだ」

    「みちるさんの方は、大高高校でしょ。 だから運動好きか、能力のあるアスリート候補生ってことね。 彼女は去年、100メートル走でインターハイ出場しているわ。 それから、もう一方の妹の、みのるさん。 彼女は普通の進学校だったみたい。 一ツ橋高校と言ったかしら」

    「へえ」

    僕は感心してうなずいた。

     

    やはりスイは、彼女たちのことがいろいろわかっているようだった。 こちらが聞けば、一通りの情報がもらえそうだった。 そして僕の気になる彼女はと言えば、たしかにいつも、肩から大きなスポーツバッグを提げて、ホームで電車を待っていた。

    でもなんだか僕は、それ以上、スイから何か聞き出したいとは思わなかった。 彼女・・・みちるさんが、どんな女の子なのかということさえ大体わかれば、あとはキッカケくらい、自分で作る。

    「ありがとう、よくわかったよ。 ・・・それで、きみは、人間の役に立ったっていうことで、自分の世界に帰るの?」

    スイはいかにも不満そうな顔で言った。

    「人間の役に立つっていうのは、その関わった相手に学びをもたらすってことよ。 それが合格点かどうかは、私が決めることじゃないの」

    そして彼女が一度ぱちんと手を打つと、目の前の窓辺の隅に、ハート型をした透明な石みたいなのがきらきら浮かんで現れた。

     

    「これは、私を呼び出す時のためのクリスタルよ。 また、何か手伝ってほしいことがあれば、これをここに置いてちょうだい」

    「わかった。  ありがとう」

    僕のその返事にウインクしてみせると、スイはまた、金色の光の輪の中に消えてしまった。

     

     

     

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    夜。

    机に向かってはいるものの、勉強なんてさっぱり頭に入らない。

    昼間の突拍子もない出来事のせいだ。

    あれは白昼夢だったのだろうか。

     

    どうでもいいが、僕は厳しいの厳しくないのって、志望校への進学率100%、なんて夢みたいな事を公称しているスパルタで有名な進学高校 (しかも男子校!) の生徒なのだから、たぶん余計なことを考えている暇はないはずだ。

    3 年になったばかりだが、これからの1年間を思うとやはり気が滅入る。 そんなことを言っていられないのは、充分にわかっているんだけれど。

     

    僕の名前は、銀林健斗。 ぎんばやし・けんと、と読む。 男だから一生この名前で行くわけだが、なんだかロマンを感じる名、などど言われても、返事に困る。 「昔、映画で見た、あこがれのヒーローから取って付けた名前なのよ」 と、以前母親がうれしそうに言っていたが、そんな単純な理由で、息子がこれから一生涯しょっていく名前を決めたりするものだろうか。 母さんの少女趣味にもまったく困る。

     

    僕が目指しているのは、病気を治す、専門家。 つまり医者、ということだ。 なんとなく一番自分に向いているような気がするからだが、それ以外のことは、今はまだ漠然としている。

     

    ・・・しかし、きょうはなんだか、疲れてしまった・・・あのあと帰宅してみれば、家の中は猫のピップに荒らされてめちゃめちゃになっていた。

    この状況から察するに、ケンカの途中で負けて逃げ帰ったらしいピップを、相手の猫が執ように追いかけて来て、結局彼女用の出入り口から一緒に家の中まで追って入って、中でひともんちゃくしたようだ。 あーあ、朝母親が片付ける暇がないのでそのままにしていったらしい、キッチンのテーブルに残っていたカップ2つ分の飲み残しのコーヒーが、割れて散らばったカップと共に、ベージュのカーペットの上に盛大なシミを作っているし、庭へと続くサッシの窓にかかっているレースのカーテンは、きっと部屋を追いつ追われつした2匹が勢い余って駆け登ったのだろう、ひっかいて伸びた爪の跡で見るも無残にぼろぼろ。 花瓶は倒れてびちょびちょ。 きわめつけは、泥んこで汚れた足跡が、スタンプを押したみたいにそこここに付いていた事だった。 きょうはすっかり晴れて青空だったけど、きのうは一日中雨が降っていて、道のわきにはところどころに小さな水たまりが出来上がっていたからね。

     

    出先から帰った母親のなげきの姿が容易に想像できるので、せめて少しは何とかしておこうと思って片付け始めたが、泥のスタンプはすでに乾いていてふき取りにくいし、コーヒーの染みはとてもきれいにはならないし、カップの破片は意外なところにまで飛んでいて、結局は12畳のリビング全体を、ソファーのクッションまではずしてくまなく掃除機をかけることになってしまった。 やはり念には念を入れておこう。 あとからケガをするのはごめんだ。

     

    そんなことをしている間に、あっさり2 時間が過ぎた。

    僕の父親は現在単身赴任中で、アメリカのシカゴ、という所にいる。 そこで人体になるべく害のない農薬を作れないかと、天然の原料を使って試行錯誤の試作をしているらしい。 地球に住んでいる膨大な人口を養うには、大量の農作物の生産が必要になる。 だが、その生産をこのまま維持するだけでも、天候にすぐに収穫量を左右されてしまう自然が相手じゃ、ままならないらしい。 農薬や、化学肥料を止めた自然農法がいいに決まっているのだが、今の人口が必要とする収穫を確保しつつ、なるべく健康に食べつないでいく努力も必要なのだ。

     

    ところで昼間の・・・あの小さな彼女はどうしたのだろうか。 ベッドにひっくり返ってぼんやり考えているうちに、どうやらウトウトしてしまったらしかった・・・。

     

    コンコン、コンコン。

    うっすら目を開けて音のする方を見ると、小さな丸い石・・・でも彼女にとっては抱えるほどの大きさ・・・の石を窓ガラスにぶつけて、空中に浮いたままスイはノックをしていた。

    あわてて起きて、その体をはさまないようにと口をパクパクさせ、指さして後ろにどいてと示しながら、僕は上下スライド式の開閉になっている窓を持ち上げて開けてあげた。

    20センチほど開いたすき間から、すいっと彼女は部屋の中に入って来た。

    「こんばんは! 調子はどう?」

    きらきらの目で見つめられて、なんて返事をしていいのか、一瞬とまどう。

    「まあまあ・・・かな」

    「そう。 それはよかった。 ところでお尋ねの件、リサーチしてきたわよ」

    スイは机のパソコンの、デスクトップ画面の上にちょこんと座るとそう言った。

    「えっ、ほんとう?」

    僕も、少し離れて椅子に座ったが、そのまま今度はこっちが身を乗り出す。

    「彼女の名前は、文月みちるさん。 名字のふみつきは、7月の意味の漢字。 みちるはひらがな。 おおたか高校の2年生よ。 現在恋人無し。 以上」

    「えっ。 あっ・・・ありがとう」

    なんだか気恥ずかしくて会話が続かずもじもじしていると、彼女はさらに付け加えた。

    「ほんとなら、もっと早く知らせに来れたんだけど、ちょっと調べるのに手間取っちゃって。  だって彼女たち・・・」

    スイは丸い目をぱちくりさせた。

    「彼女は双子だったんだもの。 そのあたり、ミステイクがあると、困るでしょ?」

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「 レインボー (1)」を公開しました。 2年 8か月前

     

    それは、五月のある日の午後だった。

     

    「はろ~♪」

    学校からの帰宅途中、頭の後ろの方で声が聞こえたような気がして振り向いた。 けど、誰もいない。

     

    2、3歩歩みかけて、またしても呼び止められて、振り向いた。

    「ちょっと、あなたの事よ、そこのかた!」

     

    きょろきょろあたりを見回して、頭の上の方に声の主を見つけて、息が止まるくらいに驚いた!!!  小さい人だ!  こびと?  女の子だった。

    体が固まってしまい動くこともできずによく見ると、背中にとんぼの羽みたいな・・・銀色に光る美しい羽が付いていて、ひらひらと羽ばたくその羽で、彼女は宙に浮いていた。

     

    まん丸い大きな茶色の瞳が、開いた口のまま声も出ないほど驚いている僕をおもしろそうに見つめている。 その目はからかうように、きらきら光っていた。

    「やっほ! びっくりしたでしょ。 ごめんね、おどろかして」

     

    彼女はそこから、ふわりと僕の正面、1メートルくらい離れた胸の高さのあたりに下りてきて、向き合った。

    「わたし、ハナミズキの精なの。 名前はスイよ。 よろしくね!」

     

    片手を「やあ」 ってな感じに上げて、彼女は僕にあいさつした。 ぶしつけながらも、おそるおそるもっとよく観察させてもらうと、体の大きさはボールペンの長さくらい。 黄色がかった茶色の短めの髪が、くるくる渦を巻いている天然パーマ(?)で、淡いグリーンの透けるような生地の、ふわふわしたワンピースを着ている。 そしてその背中から伸びた2枚の羽が・・・ひらひら羽ばたくたびに日差しを受けて輝いていた。

     

    ・・・彼女はでも、急に悲しそうな顔になると言った。

    「きのう、わたしの木が、切られちゃったの・・・」

    彼女が振り返った少し先を見やると、通りのすぐ横の、この間までは小さな畑だった土地が、集合住宅建設のために掘り返されていた。 全12区画と、看板がある。

    「そうだったんだ・・・」

    と、僕は言った。

    都心からさほど遠くないこの辺りでは、近年ずいぶんと土地計画利用推進という名目で、住宅地の中に残っていた畑や空き地が、駐車場になったり集合住宅になったりして、その多くが失われつつあった。 周囲がどんどん整備宅地化されていく中、そこだけぽつんと畑でも、収穫をあげる方もあまり気が乗る仕事にならないのかもしれないし、仕方ないことなのかもしれない。

     

    「・・・それで僕に・・・何か用があるの?」

    出会いの最初とはうらはらに、一転しょげている様子の彼女にそうたずねてみた。

     

    「だからわたし、もう自分の元の世界に戻ろうかと思って・・・。 でもその前に、大事な仕事を一つしなければならないの。 そうしないと、せっかくこうして来た、この世界での学びが終わらない。 それが元の世界に戻る前の、わたしの課題なのよ」

     

    よく話を聞いてみると、彼女たち妖精や、自然の精霊のいる世界・・・次元というものがあるらしく、そこでは彼女たちのような存在でも、それぞれに位階のようなものがあるらしかった。 それがどんなものかはピンとこないが、無事課題を終えれば、今よりさらに上の段階の何かになれるらしい。 そしてその課題とは、この人間界で 『誰かの役に立つこと』  らしかった。

     

    「何か、悩みごとや、相談したいことはない?  まあ、わたしにも出来ることと出来ないことがあるけど」

    相談事がないかと自分から持ちかけたわりには、なんだあんまり頼りにならないな、と勝手ながらも僕は思った。  だけど彼女は自分のことを、魔法使いだとは言っていなかったっけ。 アラジンと魔法のランプに出てくる、私利私欲に走った願い事まで何でもかなえてくれる魔人みたいなのは、結局最後に、それを願ったわが身を滅ぼすのがオチなのだろうし。

     

    「それじゃあ・・・。 気になる子がいるんだけど・・・」

    言おうかどうか迷ったが、思い切って口にした。

    ・・・しかしこんなこと、やっぱり初対面の相手に言うべきことじゃなかったかもしれない。 言った後で、少なからず後悔した。 でもとっさに浮かんで来たのは、他のどんなことよりこれが一番先だったのだ。

    「ふうん」

    と、彼女は少しも表情を変えずに言った。

    「お年頃の男の子の悩みだわね~」

    僕はその返事に超腹が立った。

    「なんだよ、そんなふうに言うんなら、最初っから悩み事はない? なんて聞くなよ!」

    役に立ちたいって、そっちが頼んだんじゃないか。

    「わかったわよ。 悪かったわ。 ごめんなさ~い」

    ちっとも悪いと思っていない感じのごめんなさいを一応言うと、それでも今度はきりりとまじめな顔になって、むっとしている僕のちょうどおでこのあたりに視線を向けた。 何かそこを通して、遠くでも見るような焦点の合わせ方で、眉間の上あたりを見つめている。

    「ごめんね、ほんとに悪かったわ。 あなたが怒ってるとあなたの情報にアクセスできないから、ちょっと目を閉じて、深呼吸して・・・」

    仕方なく言われたとおりに目を閉じて、深く息を吸い込んで・・・吐き出した。

     

    彼女はちょっとの間そうしていたが、

    「OK。 それじゃあ、あとでね」

    そう言うと、彼女の周囲をくるりと取り囲むように現れた、金色の光の輪の中に消えてしまった。  あっけにとられている僕を、ひとり残して。

     

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「心のコリに、ファンタジーの力」を公開しました。 2年 8か月前

     

     

    皆さまこんにちは!

     

    皆さまは、空想ものがたり・・・ファンタジーの世界はお好きでしょうか?

     

    現代では、多様な映像技術を駆使して、空想の世界観を、イメージしたものにより近い形の、実際あるような目で見ることのできる映像に創れる時代になりました。 そのすごさや、おもしろさに目を見張ってしまう事も多いものです。

     

    本の挿し絵が、文章で書かれているお話を、より魅力的に引き立たせ、物語のイマジネーションをさらに膨らませてくれることがあります。

    また、私が子供のころの数十年前から読み継がれて、すたれない絵本の中にも、そういった、時代を超えて読む人の心に何かを残してくれるすばらしい作品があります。 そういう絵本は、絵と物語が絶妙な相乗作用で、お互いに作品を引き立てあっている事も多いように思います。 理屈抜きで、幼い時代や、大人になった私たちの心にも迫る大切な何かを、感覚で語りかけ、そこからいろいろな事を自分で考えるきっかけをも、持たせてくれる絵本。

     

     

    私がまだ小学校に上がるか上がらないかのころ、1年くらい田舎の親戚の家に預けられたことがありました。 眠りにつく前、ばあちゃんが(母の母)、時々小さなお話をしてくれました。 夏にはお化けの話を提案されたりもするわけですが、私はそういうのはダメで (あとから何度も浮かんでくるのでコワイ) もっぱら伝承の、日本の昔話をリクエストしていました。 そのころはテレビの子供向け番組も(田舎なので) ますます少なく、眠る前の昔話は案外楽しく、世界や日本の童話集なども、買ってもらうとよく読みました。 きっとそれは、そのものがたりの世界をいろいろに空想するのが、とても楽しかったからなのでしょう。

     

     

    好き、嫌い。うれしい、楽しい、悲しい・・・。 心の世界は、もともと自由な、自分だけの世界です。 ただ、生きていると社会的な場面でそれを抑えなくてはならないとか、表現してはいけないとか、さまざまな制約をともないます。 でもあまりに正直な自分の気持ちが表現されないまま抑え込まれていると、自分自身の気持ちや感覚が、本当はどうなのか、だんだんぼんやりしてきます・・・。

     

    人は夢があれば、あるいは日々の少し時間の中に心のよりどころを持てる・・・見つける事ができれば、たとえ厳しい状況の中でも何とかやっていけるものだと思います。

     

    夢・・・起きている時の夢の世界は、その人独自の幸せの源泉である空想の世界です。 心をワクワク元気にするため、また、つらいとか、理想からはまだまだ遠く離れていると思える現実の努力に疲れたら、そこから少し離れて、空想の物語の世界を訪れてみるのも、良い変化をもたらす一つのきっかけになるかもしれません。

     

     

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    nijisalon さんがサイト「ヒプノセラピーサロン・レインボー」で新しい投稿「花の季節」を公開しました。 2年 8か月前

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