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ココロ Heart ヒーリング スワミィ
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スワミィの日本人宗教論Part3❤

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スワミィだよ❤

続きだよ、本題に入る前と云うか。本題と関係あるから、ちょっと寄り道する。

十七条憲法って学校でお勉強したよね。

聖徳太子(厩戸皇子)が604年(推古12年)に作ったとされる日本最初の法文だよね。

第1条:和を以(も)って貴(とうと)しとなし・・・・

第2条:篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏と法と僧となり・・・・

第3条:詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。君をば則(すなわ)ち天とし・・・・

・・・・

みんな覚えている?偉いね~、スワミィも覚えているよん❤

さて、もう一回、上の条文を読み直して欲しいの。なんか、変なことに気付かない?おかしいと思わない?

思わないと云う人は、たぶん幸せな人よ❤

十七条憲法は、聖徳太子が作ったものではなく、後世の創作、日本書紀が制作された頃、つまり、天武天皇時代に作られたものではないかという説もあるの。

理由は、使われている用語や文章の表現方法が、聖徳太子の時代には無かった用語や表現方法が含まれているからなの。

スワミィは、それについては一理あるなぁとは思うの。

聖徳太子が1~17条全てを作ったわけではなく、最初に10条ぐらいまで作って、それを以降、それぞれの時代ごとに条文を追加、または、変更して、最終的に天武天皇の時代に17条になったんじゃないかなぁ・・・なんて、歴史の定説に抗う恐れ知らずだね・・・

それでも、上記の1~3条については、聖徳太子の時代に作られ、基本的な内容も現代に伝わっている内容と同じではないかと思うの。

天武天皇の時代に、もし、十七条全文が作られたとしたら、1~3条の並び順がおかしいと思う。

天武天皇って、壬申の乱で皇位を武力で奪取し(史上初かつ唯一)、日本の天皇の中で、始めて”天皇”という称号を使い(それ以前は、大王)、”現人神(あらひとがみ)”という云い方も、天武天皇が最初なの。

明治以降の天皇の大権は例外としても、日本の歴史上、最も権力を天皇に集中されたのが天武天皇なの。

そういう人が天皇であった時代に、十七条憲法が作られたとしたら、天皇に関する記述が、第3条と云うことは考えられないと思うの。

通常、憲法と云えば、最高法規のことで、国家の統治理念を示す基本的な法文を記述したもの。

十七条憲法は、近代以降の成文憲法の体裁には合わないかもしれないけど、国家の統治理念を示すという点においては、憲法で間違いない思う。

例えば、世界で最初の近代的な成文憲法は、アメリカ合衆国憲法だけど、その第1条は、

”この憲法によって与えられる立法権は、すべて合衆国連邦議会に付与される。連邦議会は、上院及び下院によって構成される。”

と書かれてある。

アメリカ合衆国憲法には、前文という”国是”を表明する文章が最初にあり、それを受けて、第1条があり、第2条以降の法文を合わせて解釈すると、連邦議会を構成するのは、選挙で選ばれた国民であり、立法権が議会に与えられるということは、国民によって付与されたものであるから、最終的な主権は、国民にある。つまり、国民主権を明示したのが第1条なの。

つまりアメリカの統治理念は国民主権であることを第1条で宣言している。

アメリカの次に成文憲法を持ったのは、フランスだけど、そのフランスの憲法の第1章は”主権”で、第1条は、”共和国、法の元の平等”に関する条文なの。

これも統治理念は国民主権であることを明示している。

アジアで最初に近代的成文憲法を作ったのは日本だけど、その大日本帝国憲法の第1条は、”天皇主権”。

現在の日本国憲法の第1条は、知ってるよね、”天皇”よ。

日本国憲法は、前文で国民主権を詠っているから、それと関係で云えば、天皇は、国民主権に基づく国民の統合の象徴という位置づけなので、統治理念はやっぱり国民主権であることを明示していると思う。

他にも例をあげることは出来るけど、例をあげるまでもなく、上記の例だけ凡そ見当がつくと思うけど、通常、国家の統治理念を表明する憲法の第1条には、その国の主権者、統治者が誰であるのか記述するのが一般的だと思う。

若しくは、最高理念を体現する存在を明記するのが普通だと思うの。

十七条憲法が現代の憲法と同じような考え方で作られているとは云わないけど、国家の統治理念を示す条文の第1条には、最も重要な理念を記述すると思うの。

”現人神であらせられる”天武天皇の時代に、十七条憲法の全文が作られたとしたら、間違いなく、第1条は、天皇に関する記述だと思うの。

現在の民主国家の日本の憲法でさえ、第1条が天皇なのだから、天武天皇時代なら誰に憚ることなく、第1条は、天皇でしょう。

だから、それが第3条に書かれると云うことは、1~3条については、天皇の権力が天武天皇時代より遥かに弱かった、聖徳太子の時代に作られたものだと思うの。

聖徳太子のアタマの中には、中国の隋のような、皇帝(天皇)を中心とした中央集権国家の理想があったと思うんだけど、いきなりそれを実現できない事情というか、蘇我氏とか、ある意味、天皇(大王)以上の力を持った有力豪族が当時はたくさんいたから、遠慮して第3条なのかなぁ・・なんて想像しちゃうけど、やっぱり、天皇は第3条にすべきという意思を持って第3条に記述したのだと思う。

第2条は、仏教について書かれてある。天皇は、第3条に記述されていても、それでも、その他の豪族や官僚に関する記述よりは上に書かれてある。

その天皇より上に仏教に関する記述があるということは、天皇の大権と言えども、仏法よりは下という位置づけを示しているのだと思う。

聖徳太子は、仏教に関する様々知恵や最新技術(具体的には、工芸、建築技術)を国家統治の具体的な手法として採用した。

日本国憲法と比較するならば、日本国憲法の全文を貫く理念は、”民主主義”で、民主主義に基づく国家統治の表明が日本国憲法であり、天皇と言えども、その民主主義の理念によって制限される。

聖徳太子が、第2条に仏教を据えたのは、現代で云えば、それは民主主義に相当するものだと思う。

つまり、天皇の権限は無制限ではなく、あくまで仏法によって制限されると云う意味。

現在の日本国憲法では、第1条で、象徴天皇について、2条~8条に、その天皇の権限が及ぶ範囲について記述し、権限を制限している。

具体的には、天皇は、内閣の助言によってのみ、国事行為を行うことができる。つまり、勝手には出来ない。

ちょっと余談だけど、明治憲法では、第3条で、天皇の神聖不可分が明記されていて、法的にも超法規的存在であることを明確にしているけど、日本国憲法の天皇に関する記述で、権限の制限については書かれてあるけど、それに対する罰則規定はないの。実質、”超法規的存在”であることには変わりない。

例えば、国会の解散権は、ニュースや新聞では、”伝家の宝刀”、”首相の大権”とかで表現され、内閣総理大臣の権限だとおもっているでしょう?これは、半分正しく、半分間違っている。

首相の直接権限で、国会(衆議院)を解散できるのは、憲法69条の内閣不信任案が可決された時だけなの、

去年の総選挙のような国会の解散は、憲法の第7条第3項の天皇の国事行為としての衆議院を解散なの。

日本国憲法が発布された当初、国会を解散して、民意を問いたい場合、専ら69条解散だったの。それも野党と話し合って、与党から、”そろそろ国会を解散したいから、内閣不信任案を提出してくれたら、そのタイミングで解散しますよ”という、いわゆる”話し合い解散”が主流だったの。

1950年代以降は、天皇の国事行為による7条解散が殆どになり、それを”伝家の宝刀”って言っているんだけど、もし、天皇がそれを拒否したら、憲法上は、拒否できないことになっているけど、拒否したとしても罰する法律がない。

これに限らず、天皇に関する法律は、皇室典範しかない。

天皇が国事行為を拒否したら、国会も開けない、解散もできない。国務大臣も任命できない・・・国の行政全てがストップしてしまう。

偶々、今まで、拒否した天皇はいなかったけど、この先も同じかというと、うーーん、たぶん同じだと思うけど、分らないわ。

歴史的に、天皇のような超法規的存在が超法規的行為をすると、革命的に世の中が変わってしまう。

これには具体例があって、よく明治維新とか幕末の動乱とか、その直接的なきっかけをペリーさんの黒船来航だとする意見が大多数だと思うけど、本当の直接的なきっかけは、幕府が天皇(朝廷)に、開国の是非を問い合わせことだと思うの。

当時の幕府は、ご存知、鎖国政策だったから、外交権も掌握していて、開国問題については、天皇に相談する必要は全くなかったのに、ペリーさんへの回答の時間稼ぎのために、天皇を利用しようと思ったことが運のつきで、200年以上、完全に爆睡していた天皇の権威が目覚めちゃって、それを薩長さんに利用されて、倒幕されちゃう。

超法規的存在を、その当時の法規的な手続き(幕府の意思決定プロセス)を踏まえず利用しようとすると、大抵、痛い目にある。

最近は、憲法改正が現実的になってきたし、皇位継承の問題もあり、変な人達が、超法規的に天皇を利用するということが全く無いとは言えない時代に入ってきたかなぁ・・・なんて思ったりする。

これは、本当に余談だけどね。

話は、十七条憲法に戻して、第1条は、和を以って尊しす・・・

憲法の書き順の理屈から云えば、聖徳太子は、天皇よりも、仏教よりも、”和”が最も重要だと考えていたから第1条に据えたのと思う。

この意見は、別にスワミィのオリジナルじゃないの。

作家の井沢元彦さんは、”和”は、”環”であり、”倭”の事だと考えている。スワミィもこの意見に大賛成なの。

倭国は、当時の中国の歴史書に記載されている日本国名だけど、中華思想で、周辺国の名称には、わざと酷い文字を当てる習慣というか思想があったの。

恐らく、日本から来た使者に、中国の皇帝が、”お前の国の名前はなんて言うんだ?”と聞いて、使者は、”わ”の国ですって答えたんだろうね。それで、”わ”の国なら倭国になったんだと思うの。

”わ”の国、つまり、”和”の国よ❤

十七条憲法の第1条の”和”と同じ”和”の国よ。

その”和”とは何かと云うと、井沢さんは、日本人にとって最も重要なことは、”話し合いによる解決”、つまり、”和”とは、物事を争いごとで決めるのではなく、話し合いによって解決しましょうという理念を表す言葉が、”和”だと言っている。

スワミィは、この意見には、反対とまでは言わないけど、満足できないというか、充分ではないと思うの。

日本人が、何事も話し合いで解決しましょうという意思が強いことは認めるけど、日本人ほど、”話し合い好き”で”話し合い下手”な民族って他にいなんじゃないかなぁって思っちゃう。

戦前なんて、外交問題を充分に話し合ったとは思えず、大抵、戦争に打って出て、解決しようとする。それ以外の歴史を見ても同じだと思うの。

会議とかで、喧々諤々とした議論も珍しいけど、大抵は、何となくその場の雰囲気で物事が決まるとか、誰かの鶴の一声で決まるような気がしないかい?

交渉事の話し合いでは、大抵は、交渉相手との力関係とか根回しとかで決まってしまう。 お互いがっつり意見を出し合い、お互いにウィンウィンで交渉が成立するなんて、殆ど無いでしょう。

話し合いで物事が全て決まると云うのは、民主主義の現代においても幻想だけど、古代の日本でそんなことあるとは思えない。

現実的には、殆ど実現されたことのない”話し合いによる解決”という理念を、せめて言葉の中だけで成就させる言霊信仰に引っかけて、日本人の最高理念が、”話し合い”=”和”だと云う井沢さんの説には、納得する。

それでもスワミィが納得できない、不十分だと思うのは、”和”と云うものが、日本人の歴史を貫く無人格な理念ではなく、もっと、実態的な、人格的な理念だと思うからなの。

”和”は、人格的だと思うの。

話し合いで物事が決まると云うことは、最終的な意思決定者(人格)の意思が反映されるということで、その最終的な意思決定者のことを”和”というのなら、それが”和”のことなのだと思うの。

”和”とは、人格的な”鶴の一声”であり、人格的な”その場の雰囲気”と同じものだと思ってもいい。

つまり、話し合うことが最も重要なことではなく、話し合いであろうがなかろうが、最終意思決定者は、”和”だと云うことを、十七条憲法の第1条で宣言しているのだと思う。

天皇と言えども”和”には逆らえない。”和”に逆らうと、島流しにされちゃう(崇徳天皇とか後鳥羽上皇とか)。お坊さん(法然さんや親鸞さん)だって同じ。

十七条憲法の1~3条の順番は、そういう理念を表しているのだと思うの。

だから、この国の主権者にて統治者にて最終意思決定者は、”和”さんなのよ。

男の子かな?女の子かな?ま、どっちでもいいんだけど、日本人の精神や行動理念を貫く存在が、”和”さんなのよ。”調和”の”和”さんよ。

何となく話が見えてきたかな? 見えない? ごめんね。

スワミィは、こう考えるの。

その”和”さんによって統治される人たちのことを、”日本人”と定義するわ。

その”日本人”の”和”さんへ信仰にも近い帰属意識のことを”日本人教”と定義するわ。

いきなり傲慢に結論が出ちゃって、びっくりした?

そんなもの宗教と呼べるものなのか、というツッコミに対しては、次回、説明しよう。

スワミィより❤

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スワミィは、昔、歴史の授業といえば、

こんな子だったのよ~

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