レインボー (17)

 

3日後の学校帰り、僕はプレゼントを持って病院へと向かった。 それは、街で見つけたかわいい焼き菓子の詰め合わせと、花屋の店先にあった、淡いピンクとブルーの花の小さなブーケだった。

 

ドアをノックする。

返事がない。

あれ、きのうメールで行くと伝えておいて、OKの返事をもらったはずなのに・・・と考えていたら、コツン、コツンと廊下をこちらに向かって来る音がした。 その方に振り向いて驚く!

「すごい! もう歩けるんだね!!」

両脇に松葉杖を挟んでだったが、義足をつけた足で立って、みちるさんは歩いていた! 僕の、たぶんはじけそうにうれしそうな顔を見て、彼女は照れくさそうに笑って言った。

「ちょっと前から、ひとりで売店にも行けるくらいになってたの。 あなたを驚かせたくて、黙っていたのよ」

「やった! ばんざい!!」

その大きな声に、ナース室の看護師さんが首だけ出してこちらをのぞいた。

「すいません」

小声になってあやまる。

「中に入りましょう」

そううながされて、僕たちは彼女の部屋に入った。

 

「ちょっと後ろを向いててね」

そう言われて、そのようにする。

ぎしぎし、と、何かを外すような音。 それからみちるさんはベッドに座ったようで、

「いいわよ」

と声がした。 後ろに向き直り、ハッと息をのんだ。 彼女が切断した方の足を、サポーターを巻いてはいたが直接見せて、もう片方の足と一緒にベッドの上に投げ出して座っていたのだ。

気持ちのふいを突かれて、不覚にも僕は涙ぐんでしまった。

「どうしたのよ、銀林くん」

彼女は僕をなぐさめるようにやさしく言った。 これじゃあ立場が逆じゃないか!

「あなたがいたからきっと、こんなに早く受け入れる事ができたんだと思う。 本当にそう」

彼女の目にも、涙が浮かんでいた。

「お茶でも飲みましょう。 カモミールの」

そう言ってにっこりすると、戸棚の引き出しの中から彼女が取り出したのは、彼女の鉢に咲いたのを陽に当てて干した花だといった。 ガラス瓶の中のそれは、冬の午後の弱い光を透かしてこがね色だった。

部屋の湯沸かしポットは、このごろハーブティーに凝りだした娘に、彼女の母が、すぐにお茶をいれることができるようにと買って来てくれたものなのだという。

 

ティーポットに花を入れ、お湯を注いで待つ間に彼女は言った。

「銀林くん、カモミールの花言葉を知ってる?」

ふいの質問に、そんなこと考えた事もなかった僕は、首を横に振った。

「この花の花言葉はね、『逆境の中の活力』 って、言うんですって」

僕は一瞬、言葉を失ってしまった。 スイの顔がぼんやりと頭に浮かぶ・・・。

 

「それにしても・・・」

と彼女は言った。

「え?」

「それにしてもこのカモミール、本に書いてあったのとは、成長の早さも花の時期もほとんど違うのよね。 こんな種類があったのかしら? 銀林くん、確かお友達に種をもらったと言っていたわよね」

彼女は不思議そうに聞いた。

僕はスイの事を話して良いものかどうか迷った。 そりゃそうだろう。 実は妖精の友達がいます、なんてマジメに言われても、相手は返事のしようがないというものだ。 しかも場合によっては、こちらの頭の中を疑われかねない・・・。

 

だけど・・・、と僕は思った。

だけどみちるさんなら、・・・彼女ならもしかして、まともに請け合ってくれるかもしれない。 直観が僕にそう言っているような気がする。

「友達はその種に、魔法をかけたって言ってたよ」

「魔法を!?」

驚いたみちるさんの目が、まん丸くなっている。 でも彼女はちょっと考えるようにしてから、また声をひそめて言った。

「その友達って、・・・もちろん人間よね?」

僕は黙って首を横に振った。

「え・・・。 じゃあまさかとは思うけど、魔法を使える、自然の精霊とか、妖精とかなのかしら・・・?」

今度は僕が驚く番だった。 思いもよらず、みちるさんの口からそんな言葉が飛び出してきたからだ。 お互いを驚きの目で見つめて、少しのあいだ口もきけずにいた。

「どうしてそんなふうに思うの!?」

今度は僕の方から切り出した。

「銀林くんは、イギリスにフィンドホーンという場所があるのを知っているかしら? わたしも最近妹から聞いて、初めて知ったんだけど・・・」

彼女は一冊の本を戸棚から取り出すと、僕に見せてくれた。

 

今から50年ほど前の、1962年11月、イギリスのスコットランドの北の端の、フィンドホーン村という場所に暮らし始めた人たちがいた。 雑草も満足に生えないような荒涼としたその土地に、キャディ一家の5人・・・夫婦と、まだ幼い3人の男の子たち・・・と、その友人のドロシーは、引いて来た古いトレーラーハウスを住居にして住むことにしたのだった。

 

一家の主人であるピーターは、それまでその村から8キロほど離れたフォレスという町のホテルで、支配人として働いていた。 そうなるまでの人生の主要な時間は、軍人として称号を得て仕事をしてきた彼は、ホテルの運営などまったくの無知だったが、ピーターが支配人になると、数年後には、ホテルの収益は以前の3倍にもなる。 その成功は、ホテル運営の細かな指示を、妻のアイリーンにもたらされる、神からの内的啓示(『ガイダンス』 と呼ばれる) により得て、それをピーターが中心となり忠実に実行に移す事、昼夜をいとわぬその努力により実現していったものだった。

 

しかしホテルの経営者は、ホテルが神の啓示に従って経営されているという話が広まっていくのを嫌い、一家をいったん別の場所にあるホテルに1年転勤させた後、突然解雇してしまう。

キャディ一家とドロシーは、明日からの職のあても、家すらないまま、住みかでもあったホテルを追い出されるように後にした。 神の啓示は、「すべき事は一日一日を生きていく事。 一度に一歩ずつ進んで行く事で、常にこのように生きていく事を学ぶ事であり、私の指導の下に一歩ずつ進んで行けば、すべては完璧に成就するでしょう」 と、総じてアイリーンに、そのように告げていた。・・・

 

その後しばらく、ピーターの職探しは奇妙なほどに失敗し続ける。 現金収入の道が途絶えたので、彼らは食事の足しにするために、ハリエニシダという、水も養分もほとんど必要としない、荒れ地にしか生えない植物が主だった、フィンドホーンのその砂地の土地に、菜園を造る事にしたのだった。

 

そのころ、一家と数年来運命を共にしてきた友人のドロシーに、変化が起きた。 自然の精霊の声が聞こえるようになったのだ。

「植物の精霊たちと、協力して菜園で働きなさい」

この声が聞こえた当のドロシーでさえ、はじめは半信半疑だったという。 しかし精霊・・・その野菜を担当する妖精たちから直接メッセージを受け、それに従い忠実に実行すると、味も形も大きさも信じられないほどのすばらしい野菜ができ始めた。 (驚くべき巨大野菜の収穫は、数年の後に終わってしまうが・・・。)

 

時には遠くの空にオーロラが見える事さえあるという、北の果てのその地で、その土壌と気候からは到底育つはずのないそれら農作物の収穫に、ドロシーは、

「フィンドホーンがエデンの園である事を証明し、自然界の精霊と人間が協力すれば、新たな可能性が広がる事を知らせるためにできたものなのです」

と、言っている。・・・

 

 

僕はそれを読んで、そこにはたぶん、嘘は無いだろうと感じていた。 信じるも信じないも、ほとんどが書いてある通りの事だろうと。 水晶を置けばすぐに現れて、力や勇気をくれたスイの存在は、まぎれもなく僕の現実だったから。

そして、スイがくれたカモミールの種は、驚く早さでしっかり育って、うっとりするほどの香りを放つ花を、豊かに咲かせた。 それはまさに魔法だった。

 

みちるさんは言った。

「イギリスの、特に地方ではもともとそういう伝説のある土地柄という事もあって、人間のために役に立とうといろいろ世話を焼く、精霊や妖精と言われる存在がいると、今でも信じられてるの。 子供のころ向こうに遊びに行って、ちょっとしたいたずらをたしなめられたりする時に、エルフィンにつねられるとか何とか、私も向こうのおばさんに言われたことがあったわ。 そして実際に彼らとコンタクトを取ることができたり、その姿が見えたりする人たちは、意外に多いらしいのよ」

彼女は話す途中でますます実感がわいてきたようで、ほほを染め、目を輝かせて言った。

「でもすごいわ! 銀林くんの話す事が本当なら、あなたはなんてすばらしい経験をしたのかしら。 わたしたちはなんて素敵な贈り物をいただいたのかしら!」

 

今そこにスイがいるように思えたのは、気のせいだろうか。 窓辺に飾ったブーケの花のあたりから、いつもスイが帰った後に残る花の香りが、かすかに香って来ていた。