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月別アーカイブ: 10月 2013

するか、しないか。

 

私たち(霊としての)が、この世にこの体(肉体) をまとって、有機体で、質量を持って生きている事って、いったいどんなや理由や意味があるのでしょうか。

たぶん、それに関しての考察や教えなどは、いろいろな本や経典の中に、たくさんの賢者や聖者、あるいは神様の言葉として載っているはずです。

 

霊界と、私たちのこの現象界との大きな違い・・・私は、それはやはり、歳と共に成長や老化などで必ず変化していく有機体の体がある事と、それにかかる負荷・・・重力の有る無しの違いだと思います。

 

物的な質量を持つこの体・・・移動させるにも自分で歩く・走る以外に、何かの乗り物に乗る・・・という手段を使わなければ、移動することはできません。

また物事を変化させていくのにも、まず「思い。意思する」があって、それに伴う行動が起き、それから実際の物事に変化が起きる・・・という順序があります。

つまり意思しても、自分の実際の具体的な行動が無ければ、念力などの特殊な方法が使える人の場合は別として、右にあるコップを左に動かす事すらできません。

 

 では、霊界のそれとは一体どういうものなのでしょうか。

 

臨死体験(二ア・デス)や、 退行催眠などにより、これ以上はないというほど深いレベルに私たちの意識が入った特別な場合には、本当に体を離れて、あるいは霊の状態に戻ったのにより近い体験ができる場合があります。

 

それはどんなふうかというと、例えばその状態で、想念(思い) の中に、どこか行きたい場所を思い浮かべたとします。 すると思い浮かべたその場所に、一瞬のうちに移動してしまうといいます。

霊の状態になった(あるいは近くなった) 意識はまた、想念で何でも生み出してしまいます。 たとえば、寒いなあと思えば一瞬にして防寒服に包まれていたりとか、何か食べたいなと思えば、思った瞬間にその食べ物が目の前にぽん!と、現れてきたりします。 すべてが思ったとたんの出来事です。

 

「霊なんだから寒いと感じたり食べたいと感じたりはしないでしょう」 という突っ込みが入りそうですが、霊界とこの現象界は表裏一体ですので、この現象界に存在するものはことごとく霊界にも存在します。 ですからその霊の人、あるいは意識だけの状態に近い人が望めば、その欲求が生じた事に対して、すぐにその思い浮かべた対象のものを手に入れてしまえるのです。 

 

完全に霊の状態の意識(意識体) はまた、今自分が意識を向けたいと望んだ相手複数人と、同時につながる事が可能だといいます。 またこちら側の生きている私たちが、その意識体に何らかの思いを向ければ、必ず瞬時のうちにその思いが相手に届くといいます。

 私はそれは、特に不思議な事とは感じません。 なぜなら霊の状態である意識体は、個として一つの肉体に制限されている状態ではないので、より高いレベルにいる霊ほど、意識体としての自分を好きなだけ細分化させることができるからです。

要するに、つながりたい相手複数と同時に、それぞれ別の場所で、会ったり電話をしているような状態とでも言ったらいいでしょうか。 

 

そこがこの、個としての制約の有る現世と違って、霊の世界が自分の心(魂)の成長、学びにはならない理由なのです。 なぜなら努力や苦労をしなくとも、(あるいは試行錯誤などをしている間もなく) 思い浮かんだ事が現実化(霊の世界での) してしまい、必要が一瞬で満たされてしまうからです。 

 

この違いこそが、まさに私たちが、わざわざこの生きるべき世界に生まれてきた理由なのです!!

 

 聖人や神人と呼ばれる人の中には、そういう事をこの現象界で行なってしまえる人がいます。 それは物理学的な法則性で言えば不可能な事ではないらしいのですが、でもほとんど人知では計り知れないほど大きく、また精妙なエネルギーが生じさせる出来事だといいます。 

 

私は眠っている時の夢の中で、いろいろな体験をします。 それはほとんど自分に関する情報ですが、くだらない場合も含めて毎回毎回その面白さに感心してしまいます。 

 

このホームページを始めたばかりの時にも、実はその事に関する夢を見ていました。

私はその中で、様々な占いの占い師さんが、それぞれ布で仕切られた小部屋にいる大きな部屋の中にいました。 そして訪問したある2つの場所で、最初は年配の女性に、そしてまた別の場所では洋装の紳士的な雰囲気の中年男性に 「これから3ヵ月は、何も変化しないだろう」 と告げられました。

そのありがたい? お告げの通り、確かにこれまでの3ヵ月、私の実際の生活パターンがほとんど変化する事なく時間は流れて行きました。

 

ところが・・・。

 

変化を告げる夜明けの雄鶏の鳴き声が・・・この10月に入って確かに聞こえて来たのです。

 それはやはり、私にはとうてい考えつかない方法で来る事となりました。

 

それにどれほどの価値を持たせる事ができるのかは、これからの私の精進にかかっています。 そしてその恩恵を、少しでも皆さんへのヒプノセラピーの誘導を通して、お分けさせていただく事ができればなあ、と思っています。

 

でも実際の私自身の内側はといえば、特に何も変わっていないんですけれど・・・。うむむ。

 

そう、「するか、しないか」。

手に入れたさまざまな知識や方法を、実際に使う事ができるかどうか。

この世に生きるという事は、努力や苦労、あるいは苦悩があるからこそ、霊の成長ができる、望めるという事。… 続きを読む

鎌倉参り

 

きのうは鎌倉のお寺へお参りに行ってきました。

ある聖者さまのお申しつけに、「鎌倉参り」 というものがあったからです。

 

 「鎌倉」というだけで、特にどの神社仏閣という指定がなかったので、私はインターネットで見つけた「光明寺」に行く事にしました。

光明寺・・・初めて聞く名のお寺でしたが、大きな山門の、美しいお寺でした。 美しいと言ってもきらびやかな美しさというのではなく、よく手入れの行き届いた美しさとでも言ったらいいのでしょうか、上がらせていただき中の回廊などを歩いて見回すと、内も外も、古くとも整然とした美しさでした。 外猫も見かけました。

 

お寺の宗祖の法然上人は、身分の貴賤を問わず、あらゆる階級、あらゆる種類の人々と縁を結んで帰依を受け、そうしたすべての人々に教えを説き救いの手をさしのべたと言います。 法然上人の物語に感じ入り、このお寺にお参りさせていただこうと思ったのですが、このお寺にしようと思ったわけは、他にもありました。 

同じ敷地内にある稲荷社の、勧請(かんじょう)のゆえんのお話です。 お寺の開山上人(その後の良忠上人の事?) が、それ以前に佐介という村に住んでいた頃に、子狐を助けました。 その夜の夢に親狐が現れて、そのお礼にと薬種(薬のたね)を、置いていきました。 夢から覚めても薬種は目の前にあり、これを疫病流行の時にまき、(すると3日のうちに茂り・・・と、稲荷社前の立て札か石碑に書いてあった気がする) その葉を与えると、病の人がことごとく快癒した・・・と伝えられるそうです。 こういう報恩の物語は真実である事も多く、私はとても好きなのです。

 

 

その後は、やはり鶴岡八幡宮と、その周辺に散在するお寺へも足を伸ばして参詣しました。

しかし、きのうの鎌倉は、空前の人出でした。 考えてみれば3連休の中日だし、きょうになって気づいたのですが、きのうは大安だったのですね。 少し早めに七五三のお参りをしている人や、多くの人で賑わう鶴岡八幡宮の境内で、神前式の結婚式をあげていらっしゃる方もいて、それが人出の賑わいに花を添えている感じでした。

 

そういえば今年遷御の儀が行なわれた伊勢神宮に参拝された方は1千万人にのぼったとかで、そういう事実を耳にしたり、きのうの鎌倉での、いろいろなお寺を回った先での人々の様子(私も含めて) を見たりしていると、日本人の意識の根底には、神代(かみよ)の時代からの神事や神道みたいなものを大切に思う心が、今も深く根付いているのだなあ・・・と、感じ入ります。

 

これから深まり行く秋に、一度行ってみたかったけど、まだ訪れた事の無い神社やお寺などをまた訪ねてみようかな、と思いました。 時間を超えた時間というものを見つけに。

 

 

私を育ててくれたもの

 

私は、東北のいわゆる田舎町の出身なので、育った環境の中で目にしていたのはいつも昆虫や小動物や、自然の風景だった。

昆虫の場合は、やはり夏が最盛期で、私はそれを捕まえるのが大好きだった。 夏一番にニイニイゼミが鳴き始めると、母に新しく買ってもらった虫かごを肩から斜め掛けして、柄の長い虫取りあみを片手に、果樹園の中へ勇んで行った。

近くの神社の境内と、その周囲の林の中には、朽ちた木が横倒しになっていたりして、小学生の男の子たちは皆、そこからクワガタ虫の幼虫を見つけ出そうとやっきになって木を削っていた。 私はカブト虫やクワガタ虫にはあまり興味が無かった。 なぜなら色が暗いし単一で、ちっともかわいいと思えなかったからだ。

その点、カミキリ虫は美しかった。 日光を受けて、光の加減で、3Dみたいな青みどり色に光っている。 その上の黒の斑点の模様といい、長い触角が白黒のゼブラ模様な所も魅力的だった。 木をゆっくりと這い登っていく姿を、いつまでも飽きずに見ていた。 似たようなのではコガネ虫も大小それぞれにおもしろくかわいらしく、見つけると手のひらに這わせて遊んだ。

 

近くを流れる最上川には、よく岸辺で群れをなして泳いでいる川魚の稚魚を、やはり虫取りあみですくってバケツに取った。 最上川は日本三大急流の一つと言われるくらいだから、大きくて深い川だったのにもかかわらず、私が子供の頃の時代は今よりもずーっと、大人の監視の目がゆるいというか、大きい川とはいえ浅瀬もあったりで、子供が川遊びをするなんて止める人など誰もいず、本当に自由だった。 今ではちょっと考えられないかもしれない。 あれから30数年経ち、今の私がタイムスリップしてその時代の私の遊び方をそばで見ていたら、「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってよ~!」 というに決まっている。

川へと下っていく土手の草っ原には小さなカマキリやしょうりょうバッタがたくさんいたので、それらもついでに捕まえた。

 

夜には、家の前の、田んぼのあぜをぬって走る水路に(昔は水路は土だったので) ホタルがいた。 ホタルはあぜの草の間で、蛍光色の、幻想的な色の光を明滅させていた。 捕まえようとするとどんどん雑草のあいだに分け入って隠れようと逃げるので、つぶしてしまわないように捕まえるのは大変だった。 捕まえると、小さなホタルは手のひらの上でちょろちょろと移動して、その間にもおしりを明滅させていた。 そしてやおら羽を広げてパッと飛び立ち、ゆらゆらと空中を舞う。 虫なのに、電気が付いているわけでもないのに自分で光る事ができるなんてすごい!・・・、と子供心にとても神秘的だと思った。

 

その20年後、その田んぼの多くが宅地化のため整地され、住宅が建ち始めた。 当然ホタルはいなくなってしまった。

同じ田んぼの、刈り取りが終わった後には、踏み入るとイナゴがぴょんぴょん威勢良く飛び跳ねてもいた。そこから目を上げると、ずっと向こうの地平まで田んぼが広がっていて、その上のだだっ広い空は、目にしみるような一面の、オレンジ色の夕焼けだった。 それをかすめて、何千匹もの赤トンボの群れが飛んでいた。

 

子供のころの思い出の中の風景は、目を閉じて思い出そうとするとまだ鮮やかによみがえってくる。

きっとそれは、今でも私の中心を成している原風景だからであり、この自然の世界と自分とのかかわりをその全てで感じた魂の体験だからだろう。

 

人は、人と自然に育まれて成長するものなのだと、今あらためて思う。

「都市は部分的なものだ」と、誰かが何かで語っているのを読んだが、本当にその通りだと思った。 

都市感覚が全体を決定するものさしなのではない。 

それが証拠にマスメディアが都市感覚を推し進めた結果、人は自然から離れて、自然は汚され、人と人との関係性もどこか希薄で味気ない、表面的なものに変わってしまった・・・と、多くの人が感じているだろう。

 

四季の移り変わりや、目を凝らして、周囲の自然のありように目を向ければ、どこに住んでいようとも、自然と共にある自分を、再び見つけることができるかもしれない。