私にとっての、天使の存在

 

前回途中になってしまった、天使のお話の続きです。

これは私の、天使といわれる存在についての考えです。

 

人が生きるという事は、LIVING(日々の暮らしや、生計を立てる) のためではないと、ある神様がおっしゃっていた。

 

私たちは輪廻転生する時、次はどんな人生を送るのか、それを下見し、宿命や運命とするものの中にある程度、自分の希望も反映させて、その大体の青写真を決めてから、縁ある人の下へ生まれて来るのだという。

宿命とは、私たちが、自分自身として生まれついている事であり、生涯にわたって変えることのできないものの事をさす。

運命とは、私たちの自由意志というものも含まれ、生じてくる出来事の部分は過去からの因果により、またはこの人生での、自分の今までの行動の結果として決まってはいるものの、その結果を受けて、その時私たちが、どのような次なる行動を選択していくのかという、まさに自由意志によって選び取る事のできる、私たちの命運の、舵取りの部分も含まれる。

 

そう・・・過去からの行動の結果は引き継がれる・・・。

それは過去世退行催眠を、今生での、ある癖(へき)や、依存症などに苦しむ方が受けると、こちらもよく分かる。

そういう方はたいてい、思い出すいくつもの過去世に渡って、同じ弊害に苦しんでいらっしゃるからだ。

だからこそ、今度こそそれをこの人生で克服すべく、あるいは、少しでも乗り越えるために、また同じ問題を状況設定して、あるいは引き継がれた因果として取り組んで行く。

 

それとは別の理由で、今生での自身の霊の成長や学びのために、さまざまな種類の肉体的制約あるいは制限を自分で設けて、生まれてくる場合もある。(魂の状態の時に自分で決めて、ハンディキャップを背負う、などして。 あるいは、克服すべき課題のために、その試練を与えてくれる両親や兄弟となる家族の所へ)

 その人なりに千差万別の理由があり、さまざまな、あらゆる条件付けの元に私たちは生まれて来る。

 

自分がこの人生でどんな困難に出遭い、それらの出来事を通してどんなカルマの解消をするのか、あるいは霊の成長を望むのか・・・。

 しかし、困難な問題や難題の克服が、計画通りにうまく運んでいく事は、たいていの場合少ない。

なぜならそれによって生じる人の心や肉体の痛みは、常に計画通りの結果を導き出す科学反応式とは違う。 生身の私たちはそれによって、予測のつかなかった混乱や苦痛にほんろうされる・・・。

  

天使と言われる存在は、思いがけない幸運を運んできてくれたり、突然予測のつかない事態に巻き込まれたりした時に奇跡的に助けてくれるというよりも、(そういうことはもちろんあるが) 悲しみや苦しみのときに寄り添い、時には後から気づくように手助けし、そっとしるしを届けてくれて、いつも私たちをなぐさめ勇気づけてくれる存在だと、私は感じている。

その方が、私にとっての天使の存在に近い。

 

自分の努力だけではどうしようもなくなった時、おそらく私たちはみんな、目には見えない崇高なものに対して、無意識のうちに祈り願っているのではないのだろうか。 

 

期待や願いは、かなわない事もあるだろう。 むしろその方が多いと言える。 天使や天界からの介在は、自分に都合のいい魔法の杖ではないからである。 私は経験上、いやというほどそれを味わったので知っている。でもやっぱり、願ってしまう。 そしてそれでいいのだと思う。

 

信じる心と信じる気持ちを、持ち続けていたい。 もしどうしても持てない時には、無理して持とうとしなくていい。 心の中でどんな悪態をついたって、天使はなぜ今その人がそんな気持ちになっているのかを知っていて、何も責めたりはしないのだから。 

 だから、捨て鉢な気持ちを、何かに対して行動に移してはいけない。 もちろん自分にも。

あきらめてはいけない。 一度や二度やってうまくいくくらいなら、もともとそんなに大きな問題ではなかったのだ。 

 もし、どうしてもそういう気持ちから離れられない時は、外に出て空を見上げてみよう。 そうできなければ目を閉じて、今まで見た中で、いちばん美しかった空を、思い描いてみよう。

 

どんな空が、見えた?

 

 

人は悲しみや苦しみをこらえて一心に祈るとき、あるいは誰かの幸せを真に願う時、その祈りや願いは必ず、天使や神の存在に届くという。

それは、すべての私たちに与えられた、天界の存在からの、人としての権利であるという。

そして何度となく立ち上がってまた歩を進めようとする人を、天界の存在は放ってはおかない。 

私たちはいつだって、本当は見守られ、助けられているのだから・・・。